友達の結婚式があるということで、3年ぶりにハワイを訪れた。
前回は、パートナー企業の営業部長がハワイ島で結婚するというので、行ったのが最後だった。その前は、さらにさかのぼる事3年、親友の結婚式で、これはオアフ島に。その前は、2002年~2005年頃に西海岸に出張で行き来しており、帰りに、毎回オアフに寄って、放電して帰ってきた記憶がある。もう随分行っている計算だ。
この流れの中でイーサーネットがはじめてホテルの部屋まで来たのが、4~5年前くらいのタイミングだった。それ以前は思い起こすと、データポート付きのIWATSUの電話機に、電話のジャックを挿して、AT&A系のISPのフリーダイアルに、「ピーヒャララ」で繋いでメールを取っていたことを思い出した。随分とインフラも整備されてきたわけだ。
今回は、知人の結婚式に夏休みをプラスして、ハワイ島とオアフ島の両方に合わせて8日ほど滞在した。もはや、ホテルの中は、イーサーネットは当然で、WiFiもいたるところで拾える。当然といえば当然である。オアフ島に至っては、ビーチや街中でも公衆WiFiが飛んでいて、まぁ、どこでもコネクタブルな状態であった。
しかし、である。
ホテルのインターネットが「有料」だった。いまどき、「え?」という感じ。格安ホテルなら、わからなくもないが、ハイクラスのホテルである。しかも、24時間で20ドル程度も取る。いまどき、情報を取るのにそんな金を払う人がどこに居るのだろうか、と。しかし、繋がないと困る。8日間も東京を空けるわけだ。メールくらいちゃんとやっとかないと、仕事が滞る。仕方なく、僕からすれば、その途方も無い料金を支払うことにした。ハワイ島はしょうがない、と思いつつ、オアフ島のど真ん中のハイクラスのホテルへ場所を移す。もちろん、部屋にはイーサーネット、そこらじゅうに、WiFiだ。しかし、ホテルのイーサーネットは、やはり料金を求めてくる。それも、前述の料金と同じくらいの値段である。おいおい、またか。ここまでくると、ブロードバンド大国の日本人としては、頭に血が上ってくるため、パソコンの背中を窓に向け、ビーチの公衆WiFiを拾おうとする。これが上手く行った。感度は「非常に強い」を指している。しかし、である。やたらと遅い。仕様に耐えない。イラッ。
ところで、ハワイといえば、「ALOHAnet」である。アロハネットワークは、1970年前後に、ハワイ大学のノーマン・アブラムソン氏などが作り出したコンピュータネットワークである。後の1972年には、かの、ARPANETとも繋がるネットワークで、パケット通信の歴史においては、語らずにはいられない、イーサーネットに強い影響を与えた技術である。その「ALOHAnet」であるが、今日のWiFiと技術的に非常に近いといわれている。例えば、WiFiでよく使われる802.11bだが、これはごく簡単に言ってしまえば、ユーザーが増えれば増えるだけスループットが劇的に低下するのである。従って、実は、WiFiは「公衆」には向かないのである。そこに来て、iPhone、iPadブーム。海外からの旅行客は3Gなんぞは使いたがらない。(日本は、7/21から海外の3Gも定額になるようだが・・・by @masason)。昼間はビーチで右を見ても左を見ても、iPhoneやラップトップだらけだ。この時間帯は、さすがにスループットが遅い。そして夜。部屋に帰った人たちは、ワインを片手に、公衆WiFiに繋いでいるのだろう。夜は夜で遅い。それもすべて、ホテルのネットが有料だからじゃないのか?たまに、スピードが出るときは、急いで仕事をして、急いで、tweetする。そんなストレスフルなネット環境が続いたのであった。
ハワイは島である、西海岸からだって、ジェットで5時間はかかる。海底ケーブルの敷設、そして、島と島の間の通信網の整備など、インフラに資金が掛かるのは、よくよく考えれば理解できる。従って、ホテルのインターネットが有料なのも理解しなければならないのかもしれない。ただ、そこは観光で成り立っている州。これからの時代、インフラ整備に是非頑張ってもらいたいと思った次第だ。
ところで、6年程前にギリシアへ行ったとき、メインランドのホテルのネットも無料、離島(ミコノス島だった)などは、WiFiが飛んでいて、人も少ないこともあってか、快適なネットライフを過ごすことができた。同じく離島のspgのホテルだったが、こちらはインフラ事情が違ったのだろうか。さらに、ニューヨーク⇔東京間で、いくつかの航空会社が試験的に提供していた、インターネットサービスは目から鱗だった。私の記憶に間違えがなければ、すでに全航空会社が採算性の問題から、このサービスから撤退しているが。なにせ、電源も供給され、パソコンがブロードバンドでネットに繋がる。しかも、その時、私はヘッドセットも持ち合わせていたから、Skypeで無料で電話だってできた。手元についている、クレジットカードを通す飛行機の電話機では、相当な料金が取られる。多分、このサービスはその内、復活するだろうから、日本でいう、アジルフォンのようなソフトフォンのインターネット電話サービスを利用していれば、そこに電話だってかかってくるだろうし、会社からの転送電話もreachableだ。しかも、飛行中に、だ。まさに、飛ぶオフィス。さながら、エアフォース・ワン、といったところだろうか。
日本も、新幹線のN700系でサービスがスタートしている。私は出張が豊橋止まりなので、N700系には乗れないのだが、このサービスも広がるだろう。JRや地下鉄も先月くらいから、非公式に、地下でも電波が通じる箇所を増やしはじめている。
さて、とめどもなく書いてきたコネクタブルな世界だが、もう、そこまで来ている。しかし、である。WiFiは、広い領域や多くのユーザーをカバーするには、難しい技術である。一方で、携帯電話会社が持っている電波の帯域というのは、データ通信においても、広域で多くのユーザーをカバーできる。商業的には、いわゆる「無線LAN」サービスよりも、携帯電話会社系のインターネットサービスの方が伸びる可能性が高いと感じるのである。
帰国の日、ホノルル空港で人生で初のオーバー・ウェイトによる、50ドルのペナルティーチャージを受けた。27kgまで、とされるところを、30.78kgで、ペナルティ。厳しすぎやしませんか?その根拠を調べたが、ネット上でなかなかみつからない。どなたかご存知の方がいらっしゃったら、コメントをいただきたい。たった、3-4キロで50ドルって高くないですか?あるいは、その3-4キロが命取りなんです、みたいなコメント嬉しいです。どこを見ても、なんで、27kgなのか、なんで、50ドルなのかが書いていなかったので。
代表主任研究員(T) 専門:情報産業論、メディア技術論
2010年7月19日月曜日
2010年6月7日月曜日
地デジ化体験記(その3)
○これは「集団疎開」の再来か?
「地デジ化」の奮闘について書くのは3回目だが、いろいろと考えてみると、これは戦時中などに行われた「集団疎開」の再来なのかと思えてくる節があってならない。
「疎開」は、戦争の惨禍からまぬかせるために主に児童・生徒などの非戦闘員を避難させたり、防空目的や軍事作戦行動上の理由で建物を移設、解体したりすることだが、地デジ化の推進を見ていると、放送局も受信者もアナログ放送帯域からデジタル帯域に強制的に集団疎開させられているように見えてならならないのである。
それが明確な跡地利用の方針もないままに、この「集団疎開」が強制的に粛々と行われていることも問題だが、より根深いのは、その決定がきわめて「民主的」手続きで行われたことである。つまり、2011年までに地上アナログ放送を廃止し、「特定周波数変更対策」と名付けられたデジタル放送完全移行を決めたのは、われわれが選出した代表で構成する国会であり、さしたる大きな議論もなく2001年6月11日に電波法が改正されたのである。そもそも、電波のひっ迫があり、「電波の適正な利用の確保を図るため」として改正しながら、その明確な需要自体が漠然としていたのである(その需要すら当時はあったのか疑わしい)。また、普段から読者・視聴者の利益のためと言っている放送事業者や放送事業者に出資している新聞においても、極めて国策遂行に順応的な論調であった(今も、地デジ推進に関してそうだが)ことも問題ではなかろうか。
たしかに、アナログからデジタルへ移行するのは「時代の潮流」だとして理解できたとしても、衛星、地上、インターネット(光・WiFi)などを総合的に勘案して、視聴者や利用者が使いやすい次世代の規格を作り出したとは言えないのである。どちらかというと、既存の事業者の利益を優先したと思えるところがあってならない。いまさらこんなことを言っても仕方がないと思うかもしれないが、当時から問題提起してきた私としては、地デジ化を実体験してみていろいろと不具合も経験したので、「使い方は後から考えるから、とりあえず退け!!」というやり方に、戦時中の集団疎開を思い出させられてやはり釈然としない。
○跡地利用をめぐる争い
KDDIが2010年6月3日、次世代向けの放送サービス提供を目的に「メディアフロー放送サービス企画」(東京都港区六本木、資本金5000万円)として、同社の出資比率82%で、テレビ朝日(同10%)、スペースシャワーネットワーク、ADK、電通、博報堂(以上4社計8%)との間に設立したことを発表した。一方、NTTドコモはすでに2008年12月14日、フジテレビ、ニッポン放送、スカパーJSAT、伊藤忠と均等出資で「マルチメディア放送企画LLC合同会社」(東京都港区台場・資本金1億8000万円)を設立している。
これらの会社はアナログ放送終了後の電波帯を利用し、携帯電話利用を前提としたモバイル・マルチメディア放送の利用を目的として設立されたもので、前者が米国・Qualcomm社のMediaFlo(TM)を利用したサービスに対して、後者は、現在の日本のデジタル放送方式をベースとしたISDB-Tmmの利用を提唱している。
今のところ、次世代放送サービスについては、一社が選出される見通しとされており(「東京新聞」2010年6月4日付朝刊)、今後の選定作業を通じて、テレビ朝日・KDDI vsフジテレビ・NTTドコモの電波割当争いを前提とした規格争いが行われることになる。
携帯電話のデジタル化は、それぞれの事業者に割り当てられていた電波帯域を再構成するために、事業者の負担において(最終的には利用者の利用料金に上乗せされているが・・・)、送受信機双方の交換が行われ、利用者にさしたる負担もなく行われたが、今回のテレビデジタル化については、ほぼ全額が新しい産業創成と新サービス提供のために、強制的に集団疎開させられ視聴者負担で移動させられ、新たな跡地利用が行われるのである。
それも、既存の放送事業者の出資を得てである。つまり、広告収入の激減により、事業的な行き詰まりを見せてきた地上波放送事業者の新たな出資先を、視聴者の負担で作り出しているのではないかと疑いたくもなるのである。
○エコポイント制度は「エゴ」なのか?
2011年7月というデッドラインが決まっており、地上デジタル受信機の普及を目指したものの、受信機の普及はこれまで非常に低迷してきた。環境省、経済産業省、総務省が共同で「エコポイント」制度を実施して、地デジテレビへの買い替えに役立っている面もあるが、そもそも、この制度自体が「エコ」を標榜していることについて主に二つの問題がある。一つは、販売増による電力消費を考えていないこと、もうひとつは、エコ製品への代替が必要条件でないことである。前者では、以前よりも台数を増していくことに歯止めがない。仮にブラウン管から液晶テレビに買い替えて、40%程度消費電力が抑えられたとしても、2台買えば、以前の消費電力を超えてしまう。後者については、これまで使っている製品を確実に回収しなければならないし、以前に使っている製品よりも消費電力が少なくならなくては意味がない。ところが、大画面テレビを買う場合、以前に使っていたブラウン管テレビよりも、消費電力が大きく増加することがある。こうした点に歯止めがないのは問題である。むしろ、景気刺激策として「エコ」が産業の「エゴ」として利用されているとしか言いようがない。
○地デジに対するささやかな反抗
最近、2011年7月24日で「テレビにさようなら」と言ってはばからない人が、私の身の回りに増えてきた。理由を聞くと、テレビがそもそも面白くないし、テレビを買い替えるだけの金もないからだという。とくに、大学生はテレビをほとんど見ていない。テレビっ子の私としては、ちょっと釈然としないところもあるが、そもそも私自身、リアルタイムでテレビを見ることが少なくなってきただけに、項を改めて「つぶやいて」みたい。
主任研究員(Y) 専門:メディア倫理法制
「地デジ化」の奮闘について書くのは3回目だが、いろいろと考えてみると、これは戦時中などに行われた「集団疎開」の再来なのかと思えてくる節があってならない。
「疎開」は、戦争の惨禍からまぬかせるために主に児童・生徒などの非戦闘員を避難させたり、防空目的や軍事作戦行動上の理由で建物を移設、解体したりすることだが、地デジ化の推進を見ていると、放送局も受信者もアナログ放送帯域からデジタル帯域に強制的に集団疎開させられているように見えてならならないのである。
それが明確な跡地利用の方針もないままに、この「集団疎開」が強制的に粛々と行われていることも問題だが、より根深いのは、その決定がきわめて「民主的」手続きで行われたことである。つまり、2011年までに地上アナログ放送を廃止し、「特定周波数変更対策」と名付けられたデジタル放送完全移行を決めたのは、われわれが選出した代表で構成する国会であり、さしたる大きな議論もなく2001年6月11日に電波法が改正されたのである。そもそも、電波のひっ迫があり、「電波の適正な利用の確保を図るため」として改正しながら、その明確な需要自体が漠然としていたのである(その需要すら当時はあったのか疑わしい)。また、普段から読者・視聴者の利益のためと言っている放送事業者や放送事業者に出資している新聞においても、極めて国策遂行に順応的な論調であった(今も、地デジ推進に関してそうだが)ことも問題ではなかろうか。
たしかに、アナログからデジタルへ移行するのは「時代の潮流」だとして理解できたとしても、衛星、地上、インターネット(光・WiFi)などを総合的に勘案して、視聴者や利用者が使いやすい次世代の規格を作り出したとは言えないのである。どちらかというと、既存の事業者の利益を優先したと思えるところがあってならない。いまさらこんなことを言っても仕方がないと思うかもしれないが、当時から問題提起してきた私としては、地デジ化を実体験してみていろいろと不具合も経験したので、「使い方は後から考えるから、とりあえず退け!!」というやり方に、戦時中の集団疎開を思い出させられてやはり釈然としない。
○跡地利用をめぐる争い
KDDIが2010年6月3日、次世代向けの放送サービス提供を目的に「メディアフロー放送サービス企画」(東京都港区六本木、資本金5000万円)として、同社の出資比率82%で、テレビ朝日(同10%)、スペースシャワーネットワーク、ADK、電通、博報堂(以上4社計8%)との間に設立したことを発表した。一方、NTTドコモはすでに2008年12月14日、フジテレビ、ニッポン放送、スカパーJSAT、伊藤忠と均等出資で「マルチメディア放送企画LLC合同会社」(東京都港区台場・資本金1億8000万円)を設立している。
これらの会社はアナログ放送終了後の電波帯を利用し、携帯電話利用を前提としたモバイル・マルチメディア放送の利用を目的として設立されたもので、前者が米国・Qualcomm社のMediaFlo(TM)を利用したサービスに対して、後者は、現在の日本のデジタル放送方式をベースとしたISDB-Tmmの利用を提唱している。
今のところ、次世代放送サービスについては、一社が選出される見通しとされており(「東京新聞」2010年6月4日付朝刊)、今後の選定作業を通じて、テレビ朝日・KDDI vsフジテレビ・NTTドコモの電波割当争いを前提とした規格争いが行われることになる。
携帯電話のデジタル化は、それぞれの事業者に割り当てられていた電波帯域を再構成するために、事業者の負担において(最終的には利用者の利用料金に上乗せされているが・・・)、送受信機双方の交換が行われ、利用者にさしたる負担もなく行われたが、今回のテレビデジタル化については、ほぼ全額が新しい産業創成と新サービス提供のために、強制的に集団疎開させられ視聴者負担で移動させられ、新たな跡地利用が行われるのである。
それも、既存の放送事業者の出資を得てである。つまり、広告収入の激減により、事業的な行き詰まりを見せてきた地上波放送事業者の新たな出資先を、視聴者の負担で作り出しているのではないかと疑いたくもなるのである。
○エコポイント制度は「エゴ」なのか?
2011年7月というデッドラインが決まっており、地上デジタル受信機の普及を目指したものの、受信機の普及はこれまで非常に低迷してきた。環境省、経済産業省、総務省が共同で「エコポイント」制度を実施して、地デジテレビへの買い替えに役立っている面もあるが、そもそも、この制度自体が「エコ」を標榜していることについて主に二つの問題がある。一つは、販売増による電力消費を考えていないこと、もうひとつは、エコ製品への代替が必要条件でないことである。前者では、以前よりも台数を増していくことに歯止めがない。仮にブラウン管から液晶テレビに買い替えて、40%程度消費電力が抑えられたとしても、2台買えば、以前の消費電力を超えてしまう。後者については、これまで使っている製品を確実に回収しなければならないし、以前に使っている製品よりも消費電力が少なくならなくては意味がない。ところが、大画面テレビを買う場合、以前に使っていたブラウン管テレビよりも、消費電力が大きく増加することがある。こうした点に歯止めがないのは問題である。むしろ、景気刺激策として「エコ」が産業の「エゴ」として利用されているとしか言いようがない。
○地デジに対するささやかな反抗
最近、2011年7月24日で「テレビにさようなら」と言ってはばからない人が、私の身の回りに増えてきた。理由を聞くと、テレビがそもそも面白くないし、テレビを買い替えるだけの金もないからだという。とくに、大学生はテレビをほとんど見ていない。テレビっ子の私としては、ちょっと釈然としないところもあるが、そもそも私自身、リアルタイムでテレビを見ることが少なくなってきただけに、項を改めて「つぶやいて」みたい。
主任研究員(Y) 専門:メディア倫理法制
2010年5月31日月曜日
地デジ化体験記(その2)
地デジ化体験記から考えたことについて今回も二つほど問題点を指摘したい。
前回、放送衛星を利用して難視聴地域への暫定送信を行うホワイトエリアの地域に該当したと書いた。これは総務省の補助(国税)と放送事業者(NHK・民放)の負担により、社団法人デジタル放送推進協会(Dpa)が実施主体となって2010年3月から2015年3月までの5年間の期限付きで実施される放送で、東京地区で放送されているものと同内容の番組(CMを含む)が全国統一で供給される(ただし、期限内であっても、当該地区で地上デジタル放送が視聴できるようになれば視聴できなくなる)。
日本の地上波民間放送事業は、原則、県域をサービスエリアとして免許が行われている(関東地区、関西地区、徳島、香川・岡山地区、鳥取・島根地区などを除く)。後発局ほど少なくなる傾向にはあるが、各々が独立した会社として自社制作番組を制作、放送することで、地域の言論の多様性を確保してきた。日本テレビ放送網株式会社が当初、アメリカを中心とした国際通信網の一部を構成し、日本国内のネットワークとして計画されていたものの、言論性確保のために、関東地域の一局とされた(その後、ニュースや番組供給等において「ネットワーク協定」を結んだことにより、実質的に全国のキー局の位置づけを獲得している)。その後、作られた集中排除原則ともあいまって、副次的に、地域の商圏を維持できた。民放局にとっては、放送エリア内での商圏を対象とした広告放送が可能となり、よりきめ細かい広告需要にも応えることができてきたのである。そのため、デジタル化により放送衛星が民間放送にも拡大されるようになった時に、地域の商圏確保のために、地上波キー局による直接使用を認めず、経営上は厳しいにもかかわらず別会社が作られたという経緯がある。ところが、星から電波を落とすことで、限定的とはいえ、実質的には原則を崩してしまうことになる。地域の言論性確保をするならば、BS放送ではなく、CS放送(110度)により、地域ごとの放送再送信を実施すべきものではなかったかと思う。
もう一つ、関東地区における「デジ・デジ」変換の問題である。2011年7月24日の完全デジタル化後に再度アンテナ調整が必要となる地区が発生する。それというのも、2011年を目指してUHFのアンテナを設置したとしても、2012年からは東京スカイツリーに電波中継施設が変わるからだ。これによる影響は大きく分けて二つのパターンが考えられるが、一つは東京中心部に位置し、東京タワーと東京スカイツリーの方向が大きく異なる個所、もう一つは、スカイツリーとの間に電波障害物が存在する可能性である。
私の仕事場は、東京都の豊島区に存在するが、現在、地上デジタル放送は東京タワーから放送されているものを受信している。こちらも最近、地上デジタル用のアンテナを自らの手で設置したが、2012年には、南東方向に設置してあるアンテナをスカイツリーの存在する東方向に変えなければならない。それだけかと感じられるかもしれないが、2階建ての仕事場の東隣には8階建てのマンションが建っており、「ビル陰」で難視聴となることが想定される。もちろん、既存建設物による難視聴の場合には、放送局等の負担により受信設備等の調整、設置が行われるため、費用負担はないというが、難視聴でない場合には、個々の費用負担となる。2011年にアナログ波を止めて、一度デジタル化した上で、2012年に方向を変えさせるのは、二度の手間と費用負担になるではないか。
2012年春の開業を目指して建設中の東京スカイツリーは、新たな観光名所としては人気を博しているが、電波塔としての誕生の経緯と施設は中途半端な面が否めない。新タワーの建設は2006年3月31日に押上・業平地区に最終決定したが、関東地区での地上デジタル放送は2003年12月1日に始まっている(もっとも当初は、電波調整のため東京タワーから1km程度の範囲でしかなかったが)し、そもそもNHK・民放の在京放送事業者が新タワー推進プロジェクトを作ったのが、それから地上デジタル放送開始から半月遅れること12月17日であった。また、地上デジタル放送への10年間での全面転換は2001年7月に決まっているのだから、放送送信用の新タワー建設が後手後手になった面がある。
政策の掛け違いといえば、おしまいだが、それならば、少なくとも、スカイツリー開業後1年程度は、アナログ/デジタル(東京タワー)とデジタル(東京スカイツリー)のサイマル放送を行うべきではないか。
そうでないならば、最近始まった「ラジコ」(IPサイマルラジオ協議会、Radiko.jp)のように、IPを利用した再送信という手もある。BS/CSよりも安価であるし、東京地区では通信サービスエリアが充実しているため、臨時の補完手段としては優れているのではないか。
「ラジコ」は、実証実験が関東と関西の両地区で8月までの予定で実施中のIPサイマルキャストで、IPによる受信制御設定がなされているため、商圏や著作権等の権利関係の管理・制御が容易である。
この実証実験は、関東地区(東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県)では、TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送(以上AM)、ラジオNIKKEI(短波)、InterFM、エフエム東京、J-WAVE(以上FM)が、関西地区(大阪府、京都府、兵庫県、奈良県)では朝日放送、毎日放送、ラジオ大阪、FMCOCOLO、FM902、FM大阪がこれに参加している。
これまで、若年層を含めて、ラジオ聴取率の低迷とそれに伴う広告収入の減少に悩んでいたが、電通が音頭をとって進めたこの実証実験により、ラジオに明るい光が差しつつある。本来、通信・放送の融合を言うならば、こうした受信対策に使ってもよいのではないかと思う。実は、BSを併用した難視聴対策や完全デジタル化のプロセスは正解といえるのか、非常に疑問に思うのである。
(つづく)
主任研究員(Y) 専門:メディア倫理法制
前回、放送衛星を利用して難視聴地域への暫定送信を行うホワイトエリアの地域に該当したと書いた。これは総務省の補助(国税)と放送事業者(NHK・民放)の負担により、社団法人デジタル放送推進協会(Dpa)が実施主体となって2010年3月から2015年3月までの5年間の期限付きで実施される放送で、東京地区で放送されているものと同内容の番組(CMを含む)が全国統一で供給される(ただし、期限内であっても、当該地区で地上デジタル放送が視聴できるようになれば視聴できなくなる)。
日本の地上波民間放送事業は、原則、県域をサービスエリアとして免許が行われている(関東地区、関西地区、徳島、香川・岡山地区、鳥取・島根地区などを除く)。後発局ほど少なくなる傾向にはあるが、各々が独立した会社として自社制作番組を制作、放送することで、地域の言論の多様性を確保してきた。日本テレビ放送網株式会社が当初、アメリカを中心とした国際通信網の一部を構成し、日本国内のネットワークとして計画されていたものの、言論性確保のために、関東地域の一局とされた(その後、ニュースや番組供給等において「ネットワーク協定」を結んだことにより、実質的に全国のキー局の位置づけを獲得している)。その後、作られた集中排除原則ともあいまって、副次的に、地域の商圏を維持できた。民放局にとっては、放送エリア内での商圏を対象とした広告放送が可能となり、よりきめ細かい広告需要にも応えることができてきたのである。そのため、デジタル化により放送衛星が民間放送にも拡大されるようになった時に、地域の商圏確保のために、地上波キー局による直接使用を認めず、経営上は厳しいにもかかわらず別会社が作られたという経緯がある。ところが、星から電波を落とすことで、限定的とはいえ、実質的には原則を崩してしまうことになる。地域の言論性確保をするならば、BS放送ではなく、CS放送(110度)により、地域ごとの放送再送信を実施すべきものではなかったかと思う。
もう一つ、関東地区における「デジ・デジ」変換の問題である。2011年7月24日の完全デジタル化後に再度アンテナ調整が必要となる地区が発生する。それというのも、2011年を目指してUHFのアンテナを設置したとしても、2012年からは東京スカイツリーに電波中継施設が変わるからだ。これによる影響は大きく分けて二つのパターンが考えられるが、一つは東京中心部に位置し、東京タワーと東京スカイツリーの方向が大きく異なる個所、もう一つは、スカイツリーとの間に電波障害物が存在する可能性である。
私の仕事場は、東京都の豊島区に存在するが、現在、地上デジタル放送は東京タワーから放送されているものを受信している。こちらも最近、地上デジタル用のアンテナを自らの手で設置したが、2012年には、南東方向に設置してあるアンテナをスカイツリーの存在する東方向に変えなければならない。それだけかと感じられるかもしれないが、2階建ての仕事場の東隣には8階建てのマンションが建っており、「ビル陰」で難視聴となることが想定される。もちろん、既存建設物による難視聴の場合には、放送局等の負担により受信設備等の調整、設置が行われるため、費用負担はないというが、難視聴でない場合には、個々の費用負担となる。2011年にアナログ波を止めて、一度デジタル化した上で、2012年に方向を変えさせるのは、二度の手間と費用負担になるではないか。
2012年春の開業を目指して建設中の東京スカイツリーは、新たな観光名所としては人気を博しているが、電波塔としての誕生の経緯と施設は中途半端な面が否めない。新タワーの建設は2006年3月31日に押上・業平地区に最終決定したが、関東地区での地上デジタル放送は2003年12月1日に始まっている(もっとも当初は、電波調整のため東京タワーから1km程度の範囲でしかなかったが)し、そもそもNHK・民放の在京放送事業者が新タワー推進プロジェクトを作ったのが、それから地上デジタル放送開始から半月遅れること12月17日であった。また、地上デジタル放送への10年間での全面転換は2001年7月に決まっているのだから、放送送信用の新タワー建設が後手後手になった面がある。
政策の掛け違いといえば、おしまいだが、それならば、少なくとも、スカイツリー開業後1年程度は、アナログ/デジタル(東京タワー)とデジタル(東京スカイツリー)のサイマル放送を行うべきではないか。
そうでないならば、最近始まった「ラジコ」(IPサイマルラジオ協議会、Radiko.jp)のように、IPを利用した再送信という手もある。BS/CSよりも安価であるし、東京地区では通信サービスエリアが充実しているため、臨時の補完手段としては優れているのではないか。
「ラジコ」は、実証実験が関東と関西の両地区で8月までの予定で実施中のIPサイマルキャストで、IPによる受信制御設定がなされているため、商圏や著作権等の権利関係の管理・制御が容易である。
この実証実験は、関東地区(東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県)では、TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送(以上AM)、ラジオNIKKEI(短波)、InterFM、エフエム東京、J-WAVE(以上FM)が、関西地区(大阪府、京都府、兵庫県、奈良県)では朝日放送、毎日放送、ラジオ大阪、FMCOCOLO、FM902、FM大阪がこれに参加している。
これまで、若年層を含めて、ラジオ聴取率の低迷とそれに伴う広告収入の減少に悩んでいたが、電通が音頭をとって進めたこの実証実験により、ラジオに明るい光が差しつつある。本来、通信・放送の融合を言うならば、こうした受信対策に使ってもよいのではないかと思う。実は、BSを併用した難視聴対策や完全デジタル化のプロセスは正解といえるのか、非常に疑問に思うのである。
(つづく)
主任研究員(Y) 専門:メディア倫理法制
2010年4月30日金曜日
地デジ化体験記(その1)
2011年7月24日に地上波テレビとBSテレビのアナログ放送が終了するということは、ほぼ周知の事実になりつつある。この原稿を書いている時点(2010年4月30日現在)であと450日に迫っているが、それにしても、本当にアナログ放送を終えてしまってよいのであろうか。わが家の地デジ化体験記を通して、いくつか問題点を考えてみたい。
デジタル放送化は「国の方針」として決められており、その期限が先の期日とされているのは、これにさかのぼること10年前の2001年7月24日に電波法改正され、そこから起算して10年後ということにされたからだ。ただ、デジタル放送受信機の普及を考えてみるとそのスケジュールでよかったのかどうかいささか疑問が残る。つまり、2001年の電波法改正から
◇ そもそも、なぜデジタル放送が導入されるのか。
社団法人デジタル放送推進協会のホームページ(www.dpa.or.jp)には、「アナログ放送には無い10の魅力」が説明されている。これによれば、①迫力の高画質!②ゴーストもなくクリア!③臨場感あふれる高音質!④録画もラクラク!EPG⑤これは便利!データ放送⑥楽しみ広がる双方向サービス⑦マルチ編成でスポーツ延長も最後まで!⑧高齢者・障害者にもやさしい字幕放送⑨ワンセグでいつでも情報キャッチ⑩デジタル化でチャンネルが増える!、というメリットが示されている。
たしかに、デジタル放送の導入により、自然・気象条件等による送受信障害を回避・顕現したり、電波の交通整理が容易になったり、高機能・高画質・高音質といったメリットが挙げられる。また電気製品の需要を作り出すことにより、一定の経済的効果が見込まれる。
ところが、アナログ放送とデジタル放送とには技術的な互換性はなく、すべての送受信設備を更新しなければ受信できなくなってしまう。そのため、受信機の買い替えが必要となり、視聴者全体に大きな経済的な負担をかけることになる。また、現在使っている周波数帯(いわゆる「電波の空き地」)を空けた後の利用方針も明確ではない。
◇ 一部の電波が拾えない!!
私の実家は、千葉県のほぼ中央部、九十九里浜から少し内陸に上がったところにある山武市(旧山武町)にある。地上デジタル放送のカバーエリアとしては、東京タワーからの送信範囲内ギリギリの地点だ。2009年8月にアンテナをDIYで設置してみたが、なかなかうまくいかない。遠距離用に作られたUHFアンテナ(20素子)にブースター(+33db)を接続してみたところ、おおむね受信感度はよかったものの、フジテレビの受信レベルが極端に低く、ブラックアウト状態のままだ。
そこで、「デジサポ」(総務省デジタル放送受信者支援センター=http://www.digisuppo.jp/)に電話をしてみたところ、オペレーターは「電気店に依頼して調整を試みてください」という一点張りであった。しかし、それならばDIYをやる意味はないし、素人の設置したアンテナ工事を初めからやり直しされかねず、二重の投資になってしまう恐れがある。そこで、もう少し駄々をこねると、先方もいやいやながら技術的なアドバイスのできる人物につなぎ、「アンテナの高さ調整をしてみてください」というアドバイスまでは得られた。結局、その時点ではいくつか調整を試みたものの、やはりフジテレビだけが感度不足でブラックアウトのままだった。
そこで、今度はUHFアンテナ(30素子)+ブースター(+40db)の組み合わせでトライしてみて、ようやく安定した受信ができるようになったが、それでもフジテレビの受信感度が低く、やはり不安定でブロックノイズの恐れがある。(その後、どういう原因かは分からないが先に設置したアンテナの方も感度が上がり、自然に受信できるようにはなった)。
このように悪戦苦闘していたところ、「地デジ難視対策衛星放送対象リスト(ホワイトリスト)」(第二版)の対象地区になったということが4月16日になって総務省からアナウンスされた。
http://www.soumu.go.jp/main_content/000062797.pdf
これは、放送衛星を利用して難視聴地域に向けて暫定的に放送される仕組みだが、これをめぐってもいくつか不可解なことがあったり、対応に疑問を感じたりしたので、それについては、項を改めて書きこみたい。
(つづく)
主任研究員(Y) 専門:メディア倫理法制
デジタル放送化は「国の方針」として決められており、その期限が先の期日とされているのは、これにさかのぼること10年前の2001年7月24日に電波法改正され、そこから起算して10年後ということにされたからだ。ただ、デジタル放送受信機の普及を考えてみるとそのスケジュールでよかったのかどうかいささか疑問が残る。つまり、2001年の電波法改正から
◇ そもそも、なぜデジタル放送が導入されるのか。
社団法人デジタル放送推進協会のホームページ(www.dpa.or.jp)には、「アナログ放送には無い10の魅力」が説明されている。これによれば、①迫力の高画質!②ゴーストもなくクリア!③臨場感あふれる高音質!④録画もラクラク!EPG⑤これは便利!データ放送⑥楽しみ広がる双方向サービス⑦マルチ編成でスポーツ延長も最後まで!⑧高齢者・障害者にもやさしい字幕放送⑨ワンセグでいつでも情報キャッチ⑩デジタル化でチャンネルが増える!、というメリットが示されている。
たしかに、デジタル放送の導入により、自然・気象条件等による送受信障害を回避・顕現したり、電波の交通整理が容易になったり、高機能・高画質・高音質といったメリットが挙げられる。また電気製品の需要を作り出すことにより、一定の経済的効果が見込まれる。
ところが、アナログ放送とデジタル放送とには技術的な互換性はなく、すべての送受信設備を更新しなければ受信できなくなってしまう。そのため、受信機の買い替えが必要となり、視聴者全体に大きな経済的な負担をかけることになる。また、現在使っている周波数帯(いわゆる「電波の空き地」)を空けた後の利用方針も明確ではない。
◇ 一部の電波が拾えない!!
私の実家は、千葉県のほぼ中央部、九十九里浜から少し内陸に上がったところにある山武市(旧山武町)にある。地上デジタル放送のカバーエリアとしては、東京タワーからの送信範囲内ギリギリの地点だ。2009年8月にアンテナをDIYで設置してみたが、なかなかうまくいかない。遠距離用に作られたUHFアンテナ(20素子)にブースター(+33db)を接続してみたところ、おおむね受信感度はよかったものの、フジテレビの受信レベルが極端に低く、ブラックアウト状態のままだ。
そこで、「デジサポ」(総務省デジタル放送受信者支援センター=http://www.digisuppo.jp/)に電話をしてみたところ、オペレーターは「電気店に依頼して調整を試みてください」という一点張りであった。しかし、それならばDIYをやる意味はないし、素人の設置したアンテナ工事を初めからやり直しされかねず、二重の投資になってしまう恐れがある。そこで、もう少し駄々をこねると、先方もいやいやながら技術的なアドバイスのできる人物につなぎ、「アンテナの高さ調整をしてみてください」というアドバイスまでは得られた。結局、その時点ではいくつか調整を試みたものの、やはりフジテレビだけが感度不足でブラックアウトのままだった。
そこで、今度はUHFアンテナ(30素子)+ブースター(+40db)の組み合わせでトライしてみて、ようやく安定した受信ができるようになったが、それでもフジテレビの受信感度が低く、やはり不安定でブロックノイズの恐れがある。(その後、どういう原因かは分からないが先に設置したアンテナの方も感度が上がり、自然に受信できるようにはなった)。
このように悪戦苦闘していたところ、「地デジ難視対策衛星放送対象リスト(ホワイトリスト)」(第二版)の対象地区になったということが4月16日になって総務省からアナウンスされた。
http://www.soumu.go.jp/main_content/000062797.pdf
これは、放送衛星を利用して難視聴地域に向けて暫定的に放送される仕組みだが、これをめぐってもいくつか不可解なことがあったり、対応に疑問を感じたりしたので、それについては、項を改めて書きこみたい。
(つづく)
主任研究員(Y) 専門:メディア倫理法制
2010年3月25日木曜日
言論の自由
大きなタイトルを掲げてしまった。しかし無視しては通れない現象が起きているので、忘れないうちにちょっと触れておきたいと思う。
今月、奇妙なことがあった。一部ネットのメディアの中では取り上げられた事ではあるが、私は体験的にこのことに接した。アップル社のことである。
私の知人が、グラビアアイドルのCP(コンテンツ・プロバイダー)をやっている。グラビアアイドルを発掘し、メディアに露出させることで、そのキャラクターの価値を上げ、商売にしているわけである。これ自体は特に変わったことでもなんでもない。昔はアイドルの露出といえば、雑誌、テレビなどのメディアだったわけだが、最近はインターネットの出現で多様化してきている。つまり、ウェブメディアや携帯なども、その露出先として一般化している。その流れにあって、スマートフォン時代がやってきた。iPhone、Google携帯(Android OS搭載携帯)などがその先駆的存在だろう。ちなみに、来月末には、eBookとして、iPadも日本にやってくる。これらスマートフォンの特徴は、それぞれのスマートフォンが、アプリケーションの有料・無料ダウンロードをさせる、プラットフォームを持っているということ。例えば、iPhoneで言えば、AppStoreである。テレビCMでもおなじみだが、何万というアプリケーションが有料・無料問わず、このAppStoreというプラットフォームに集結しており、iPhoneユーザーは自由にダウンロードして、そのアプリケーションを便利に使ったり、楽しんだりするわけだ。同じことが、Google携帯では、アンドロイド・マーケットで実現している。
さて、話を元にもどそう。そのグラビア・アイドルのCP事業をやっている私の知人は、グラビアアイドルの露出先として、携帯よりも画面が大きく、さまざまな動きが実現できる、iPhoneを選んだ。そして、アプリケーションの開発会社と組んで、iPhoneアプリとして、グラビアアイドルの写真集を作り上げ、AppSotreに登録すべく申請をした。AppStoreは申請制となっており、審査を経ないと、AppSotreに自分のアプリが登録できない。彼のグラビアアイドルの写真集アプリは無事に審査を通過し、晴れて、AppSotreに登録された。
すかさず、そのアイドルのコアなファン達は、こぞってこのアプリをダウンロードして自分のiPhoneにインストールし、なかなか快調な滑り出しだった。
しかし、である。
今月初旬、アップル社は強権を発動した。つまり、何の理由も無しに、「肌の露出の多そうな」こういった類のアプリをすべて、AppStoreから削除したのである。削除された中には、名の知れていないアイドルのアプリから、超有名アイドルのアプリまで、さまざまであった。アップル社は今のところ、公式に、「なぜ、削除したか」を発表していない。
ここからは憶測になるが、AppStoreが、肌の露出が多いアプリの温床になることを怖れたアップル社が、とりあえず、一掃したと考えられる。あるいは、アップル社の極めて強い、CI(コーポレート・アイデンティティ)を守るために、それに反するものは、すべて削除したとも考えられる。しかし真相はわからない。いくつもの、CPがこれに猛抗議をしたが、なしのつぶて、であった。噂では、そういったアプリ用のカテゴリーが別途用意される、という話も耳にするのだが、オフィシャルな情報ではない。
さて、問題はどこにあるのか?
昔から、水着のアイドルは、「表現の自由」の範疇にあった。確かに過激になれば、その範疇を越えて「議論」されてきたわけだが、それでも、議論の余地があった。なぜなら、「表現の自由」という、民主主義社会においては極めて重要な大義があるからである。
この問題はプラットフォームという、いわゆる、マーケットを作り出しておきながら、そこに「言論の自由」を認めなかった、あるいは、一義的に認めなかったアップルの強権である。
今月の後半は、Googleの中国撤退が大きなニュースになったが、Googleのような大企業は、公共的な立場を担う。従って、民主主義の国の大切な憲法や、あるいは、言論の自由のような根本的な権利は、しっかりと守ってこその大企業なのである。
しかし、残念ながら、アップル社は、「全削除」を「理由無し」に行なった。しかも、事前に審査をして、一度はGOを出したにも関わらずである。
このことに関して、30年以上大手出版社でテクノロジーの編集者を務めてきた方と話を深めた。曰く、「アップルの行動は、まったくもって許しがたく、インターネットの精神を無視した行為だ」と。私も同様に思う。
いまのところ、アンドロイド・マーケットの方では、同じ現象は起きていない。そもそも、Android OSを開発したGoogleは、副社長にインターネットの父を言われる、ヴィント・サーフ氏なども迎えており、インターネットの「精神」に対し、多大なリスペクトをしている。だからかもしれない。
スティーブ・ジョブズは、偉人であり、尊敬すべき人物である。しかし、今回のこの出来事には、強い違和感を覚えざるを得ない。iPhoneで先駆者になり、AppStoreでプラットフォーム事業に一定の成功を見せ、トップを失踪しているアップル社にとって、今回のこの出来事は、後に言い訳のしようがない痛手にならないことを祈るばかりである。
「言論の自由」
言うわ安し行なうは難し、かもしれないが、アップル社ほど全世界で尊敬されるべき企業は、この権利の意味をしっかり勉強して実行してしかるべきだと思うのである。
代表主任研究員(T) 専門:情報産業論、メディア技術論
今月、奇妙なことがあった。一部ネットのメディアの中では取り上げられた事ではあるが、私は体験的にこのことに接した。アップル社のことである。
私の知人が、グラビアアイドルのCP(コンテンツ・プロバイダー)をやっている。グラビアアイドルを発掘し、メディアに露出させることで、そのキャラクターの価値を上げ、商売にしているわけである。これ自体は特に変わったことでもなんでもない。昔はアイドルの露出といえば、雑誌、テレビなどのメディアだったわけだが、最近はインターネットの出現で多様化してきている。つまり、ウェブメディアや携帯なども、その露出先として一般化している。その流れにあって、スマートフォン時代がやってきた。iPhone、Google携帯(Android OS搭載携帯)などがその先駆的存在だろう。ちなみに、来月末には、eBookとして、iPadも日本にやってくる。これらスマートフォンの特徴は、それぞれのスマートフォンが、アプリケーションの有料・無料ダウンロードをさせる、プラットフォームを持っているということ。例えば、iPhoneで言えば、AppStoreである。テレビCMでもおなじみだが、何万というアプリケーションが有料・無料問わず、このAppStoreというプラットフォームに集結しており、iPhoneユーザーは自由にダウンロードして、そのアプリケーションを便利に使ったり、楽しんだりするわけだ。同じことが、Google携帯では、アンドロイド・マーケットで実現している。
さて、話を元にもどそう。そのグラビア・アイドルのCP事業をやっている私の知人は、グラビアアイドルの露出先として、携帯よりも画面が大きく、さまざまな動きが実現できる、iPhoneを選んだ。そして、アプリケーションの開発会社と組んで、iPhoneアプリとして、グラビアアイドルの写真集を作り上げ、AppSotreに登録すべく申請をした。AppStoreは申請制となっており、審査を経ないと、AppSotreに自分のアプリが登録できない。彼のグラビアアイドルの写真集アプリは無事に審査を通過し、晴れて、AppSotreに登録された。
すかさず、そのアイドルのコアなファン達は、こぞってこのアプリをダウンロードして自分のiPhoneにインストールし、なかなか快調な滑り出しだった。
しかし、である。
今月初旬、アップル社は強権を発動した。つまり、何の理由も無しに、「肌の露出の多そうな」こういった類のアプリをすべて、AppStoreから削除したのである。削除された中には、名の知れていないアイドルのアプリから、超有名アイドルのアプリまで、さまざまであった。アップル社は今のところ、公式に、「なぜ、削除したか」を発表していない。
ここからは憶測になるが、AppStoreが、肌の露出が多いアプリの温床になることを怖れたアップル社が、とりあえず、一掃したと考えられる。あるいは、アップル社の極めて強い、CI(コーポレート・アイデンティティ)を守るために、それに反するものは、すべて削除したとも考えられる。しかし真相はわからない。いくつもの、CPがこれに猛抗議をしたが、なしのつぶて、であった。噂では、そういったアプリ用のカテゴリーが別途用意される、という話も耳にするのだが、オフィシャルな情報ではない。
さて、問題はどこにあるのか?
昔から、水着のアイドルは、「表現の自由」の範疇にあった。確かに過激になれば、その範疇を越えて「議論」されてきたわけだが、それでも、議論の余地があった。なぜなら、「表現の自由」という、民主主義社会においては極めて重要な大義があるからである。
この問題はプラットフォームという、いわゆる、マーケットを作り出しておきながら、そこに「言論の自由」を認めなかった、あるいは、一義的に認めなかったアップルの強権である。
今月の後半は、Googleの中国撤退が大きなニュースになったが、Googleのような大企業は、公共的な立場を担う。従って、民主主義の国の大切な憲法や、あるいは、言論の自由のような根本的な権利は、しっかりと守ってこその大企業なのである。
しかし、残念ながら、アップル社は、「全削除」を「理由無し」に行なった。しかも、事前に審査をして、一度はGOを出したにも関わらずである。
このことに関して、30年以上大手出版社でテクノロジーの編集者を務めてきた方と話を深めた。曰く、「アップルの行動は、まったくもって許しがたく、インターネットの精神を無視した行為だ」と。私も同様に思う。
いまのところ、アンドロイド・マーケットの方では、同じ現象は起きていない。そもそも、Android OSを開発したGoogleは、副社長にインターネットの父を言われる、ヴィント・サーフ氏なども迎えており、インターネットの「精神」に対し、多大なリスペクトをしている。だからかもしれない。
スティーブ・ジョブズは、偉人であり、尊敬すべき人物である。しかし、今回のこの出来事には、強い違和感を覚えざるを得ない。iPhoneで先駆者になり、AppStoreでプラットフォーム事業に一定の成功を見せ、トップを失踪しているアップル社にとって、今回のこの出来事は、後に言い訳のしようがない痛手にならないことを祈るばかりである。
「言論の自由」
言うわ安し行なうは難し、かもしれないが、アップル社ほど全世界で尊敬されるべき企業は、この権利の意味をしっかり勉強して実行してしかるべきだと思うのである。
代表主任研究員(T) 専門:情報産業論、メディア技術論
2010年2月10日水曜日
視聴率の不思議
電通という会社があるが、この会社の子会社のビデオリサーチ社が視聴率をほぼ独占的に発表しているわけで、大いに、違和感がある。視聴率によって広告料は変わるわけで、穿った見方をすれば、電通はいくらだって、自分の都合で視聴率を変えられる。無論、ビデオ社の倫理観は崇高なもので、そんなことは無いと信じるが、しかし、なんでこんな変な状況を長年放っておいたのだろうか。一方の博報堂は、文句の一つでも言ったことがあるのだろうか?あるいは、公引は何も思わなかったのか?だとすれば、まったくのエポケーであるし、ギョーカイの「競争をしないで丸儲け」構造を守るための、強い縄張りを感ずる。
しかし、いわゆる「通放融合」の時代にあって、状況は徐々に変わり始めてきている。例えば、通信の巨人であるNTTが、光ファイバーでテレビを伝達するサービスを行なっているが、彼らのサービスを使って、テレビを見ている視聴者がどれくらいかを、NTTが独自に測定するのは朝飯前である。もっとインターネットベンチャーに話を振って考えると、なお、おもしろくなる。世の中に出回っている、地デジ対応テレビには、インターネットへアップリンクするソケットが備わっている。某大手メーカーの方によれば、そのメーカーのインターネットに接続できる、いわゆる薄型地デジ対応テレビの総出荷数の内、約30%もの世帯が、テレビをインターネットにつないでいるというデータもあるようである。
となると、話は変わってくる。インターネット上の「視聴率測定サーバー」があるとして、そこに入っているクローラー(ロボット)が、インターネット上にあるテレビをクロールしてまわり、今、この瞬間、どのテレビでどの番組が見られているかを測定することだって理論的には考えられる。しかしこの話をエンジニアと詰めているといくつかのハードルがある。そもそも、視聴者のパーミッション無しに、ずけずけとお茶の間のテレビまでクローラーがクロールして勝手に情報を取って良いのか、という「情報社会論」的な議論を横においておいたとしても、自宅の中のルーターの下のネットワークに繋がったテレビに勝手に、インターネット上のサーバーが触りに行き、情報を取得するのは、「まず」不可能である。しかし、無論、このようなことを考えたベンチャー企業がメーカーと組んで、そのテレビメーカーが、テレビ側(のファームウェアに)に何らかの信号をインターネットに向けて発信する仕組みを埋め込んで出荷すれば、インターネット上のサーバーで情報を取得することが可能になる。こうなってくると、インターネットのベンチャー企業が、視聴率を、インターネットの慣例に従って、無料で公開する、なんていう日が来てもおかしくない。となると、電通の子会社のビデオ社は出る幕がなくなる。さらに、もって言えば、それができるなら、各テレビ局が独自に「視聴率測定サーバー」をたてて、自分の視聴率を自分で取得することすらできるようになる。後は、その視聴率に対する統計的裏づけと「権威付け」の問題だけになるのである。
こんなことを考えながら特許庁のホームページで視聴率に関する公開特許を調べてみると、ざっと500件を越えるヒットがあった。まぁ、どの人もそんなことを考えているわけで、「技術的ブレークスルー」、「メーカーとのコラボレート」そして、「通放融合の波」を上手く乗りこなせるプレーヤーが、この戦いに勝てそうである。ひょっとすると、また、その勝者がビデオ社だったりするかもしれないが、個人的にそれだけは、勘弁、である。
代表主任研究員(T) 専門:情報産業論、メディア技術論
しかし、いわゆる「通放融合」の時代にあって、状況は徐々に変わり始めてきている。例えば、通信の巨人であるNTTが、光ファイバーでテレビを伝達するサービスを行なっているが、彼らのサービスを使って、テレビを見ている視聴者がどれくらいかを、NTTが独自に測定するのは朝飯前である。もっとインターネットベンチャーに話を振って考えると、なお、おもしろくなる。世の中に出回っている、地デジ対応テレビには、インターネットへアップリンクするソケットが備わっている。某大手メーカーの方によれば、そのメーカーのインターネットに接続できる、いわゆる薄型地デジ対応テレビの総出荷数の内、約30%もの世帯が、テレビをインターネットにつないでいるというデータもあるようである。
となると、話は変わってくる。インターネット上の「視聴率測定サーバー」があるとして、そこに入っているクローラー(ロボット)が、インターネット上にあるテレビをクロールしてまわり、今、この瞬間、どのテレビでどの番組が見られているかを測定することだって理論的には考えられる。しかしこの話をエンジニアと詰めているといくつかのハードルがある。そもそも、視聴者のパーミッション無しに、ずけずけとお茶の間のテレビまでクローラーがクロールして勝手に情報を取って良いのか、という「情報社会論」的な議論を横においておいたとしても、自宅の中のルーターの下のネットワークに繋がったテレビに勝手に、インターネット上のサーバーが触りに行き、情報を取得するのは、「まず」不可能である。しかし、無論、このようなことを考えたベンチャー企業がメーカーと組んで、そのテレビメーカーが、テレビ側(のファームウェアに)に何らかの信号をインターネットに向けて発信する仕組みを埋め込んで出荷すれば、インターネット上のサーバーで情報を取得することが可能になる。こうなってくると、インターネットのベンチャー企業が、視聴率を、インターネットの慣例に従って、無料で公開する、なんていう日が来てもおかしくない。となると、電通の子会社のビデオ社は出る幕がなくなる。さらに、もって言えば、それができるなら、各テレビ局が独自に「視聴率測定サーバー」をたてて、自分の視聴率を自分で取得することすらできるようになる。後は、その視聴率に対する統計的裏づけと「権威付け」の問題だけになるのである。
こんなことを考えながら特許庁のホームページで視聴率に関する公開特許を調べてみると、ざっと500件を越えるヒットがあった。まぁ、どの人もそんなことを考えているわけで、「技術的ブレークスルー」、「メーカーとのコラボレート」そして、「通放融合の波」を上手く乗りこなせるプレーヤーが、この戦いに勝てそうである。ひょっとすると、また、その勝者がビデオ社だったりするかもしれないが、個人的にそれだけは、勘弁、である。
代表主任研究員(T) 専門:情報産業論、メディア技術論
2010年1月4日月曜日
故人の個人情報とSNSの今後
あけましておめでとうございます。
結局昨年は12月を飛ばしてしまった。師走というのは、どうも忙しくなる。
ところで、講談社が『COURRiER Japon』という月刊誌を発行している。編集長の古賀さんが、フランス留学時に本家本元の刺激を受けて、日本で創刊した、まったく新しい形の月刊誌である。その11月号に気になる小さな囲み記事があった。曰く、『あんたが死んだら、メールやSNSの個人情報はどうなる?』(p.118)と題された、米国『TIME』誌からの記事である。
確かに、どうなるのだろうか。
記事によれば、娘を事故で亡くした親御さんが彼女が生前使っていたSNS、フェースブックにログインして、彼女の生前の記録、つまり、書き込みや意見、友達のつながりや写真を、娘の「遺品」と感じたようである。米国のフェースブックは、どうやらユーザーの死後、3ヶ月で内容が自動削除されてしまうようで(どうやって、ユーザーが故人になったのかを知るのかがわからないが・・・)、親御さんは3ヶ月間ですべてのデータをダウンロードしたようである。
デジタルネイティブ世代が急速に増えている昨今、こういった事例は後を絶たない。記事は裁判になるケースもあるとつづける。つまり論点はこうである。例え親と子の関係であっても、プライバシーは尊重されるべきである、といった類のものである。しかし、私が考える限り、この手の話は、その場しのぎの法的な判断には至るかもしれないが、決して確固とした線引きができないのも事実であろう。
すなわち、法的な側面だけで話しをするべき問題でないからなのである。別に、この現象はネットに限った特殊なことではなく、子供が「絶対にみちゃダメ」といっていた宝箱を覗く権利が親にあるのかどうか、といった、極めて、日常的で個別的なできごとと変わらないのである。しかし、記事も指摘しているとおり、それと違うのは、間に「業者」が挟まっていることである。SNS業者は今後、ユーザーに故人が増えることに対して、あるいは故人の親族(どこまでを親族とするのかも含めて)からログインアカウント開示の請求があった場合、どうやった振る舞いをするのか、検討をしなくてはならない。つまり、自主的に一定のガイドラインをつくる必要に迫られるのは必至である。すでに、各大手業者はこれを行ないはじめているが、ガイドラインを使ったからといって解決する問題でもない。
先日私もまったく同じ状況に出会った。ある恩師のSNSから「私は、○○の息子の△△です。実は父が一昨日、闘病の末亡くなりました。私は、このことを、父がこのSNSで繋がっていた皆様に知っていただきたく、メッセージを書いています・・・」というものだ。続いて、お通夜と葬儀の日時も付け加えられていた。私は遠方に出張だったため弔電を送るくらいしかできなかったが、多くの、その恩師の教え子はこのことがトリガーとなって、お通夜や葬儀へ行っている。果たしてこれは、息子が父親のプライバシーを侵したことになるのだろうか。私はまったくそう感じない。
法的にどうであるかも大事である。そして、自主規制やガイドラインも重要であろう。しかし、「人が人としてどう感じるか」という一番大事な「基準」を逸脱して、判断が簡単な法やガイドラインに任せてはいけない気がするのは私だけであろうか。インターネットの一住人である、SNS業者は、今その考え方が問われている。
代表主任研究員(T) 専門:情報産業論、メディア技術論
結局昨年は12月を飛ばしてしまった。師走というのは、どうも忙しくなる。
ところで、講談社が『COURRiER Japon』という月刊誌を発行している。編集長の古賀さんが、フランス留学時に本家本元の刺激を受けて、日本で創刊した、まったく新しい形の月刊誌である。その11月号に気になる小さな囲み記事があった。曰く、『あんたが死んだら、メールやSNSの個人情報はどうなる?』(p.118)と題された、米国『TIME』誌からの記事である。
確かに、どうなるのだろうか。
記事によれば、娘を事故で亡くした親御さんが彼女が生前使っていたSNS、フェースブックにログインして、彼女の生前の記録、つまり、書き込みや意見、友達のつながりや写真を、娘の「遺品」と感じたようである。米国のフェースブックは、どうやらユーザーの死後、3ヶ月で内容が自動削除されてしまうようで(どうやって、ユーザーが故人になったのかを知るのかがわからないが・・・)、親御さんは3ヶ月間ですべてのデータをダウンロードしたようである。
デジタルネイティブ世代が急速に増えている昨今、こういった事例は後を絶たない。記事は裁判になるケースもあるとつづける。つまり論点はこうである。例え親と子の関係であっても、プライバシーは尊重されるべきである、といった類のものである。しかし、私が考える限り、この手の話は、その場しのぎの法的な判断には至るかもしれないが、決して確固とした線引きができないのも事実であろう。
すなわち、法的な側面だけで話しをするべき問題でないからなのである。別に、この現象はネットに限った特殊なことではなく、子供が「絶対にみちゃダメ」といっていた宝箱を覗く権利が親にあるのかどうか、といった、極めて、日常的で個別的なできごとと変わらないのである。しかし、記事も指摘しているとおり、それと違うのは、間に「業者」が挟まっていることである。SNS業者は今後、ユーザーに故人が増えることに対して、あるいは故人の親族(どこまでを親族とするのかも含めて)からログインアカウント開示の請求があった場合、どうやった振る舞いをするのか、検討をしなくてはならない。つまり、自主的に一定のガイドラインをつくる必要に迫られるのは必至である。すでに、各大手業者はこれを行ないはじめているが、ガイドラインを使ったからといって解決する問題でもない。
先日私もまったく同じ状況に出会った。ある恩師のSNSから「私は、○○の息子の△△です。実は父が一昨日、闘病の末亡くなりました。私は、このことを、父がこのSNSで繋がっていた皆様に知っていただきたく、メッセージを書いています・・・」というものだ。続いて、お通夜と葬儀の日時も付け加えられていた。私は遠方に出張だったため弔電を送るくらいしかできなかったが、多くの、その恩師の教え子はこのことがトリガーとなって、お通夜や葬儀へ行っている。果たしてこれは、息子が父親のプライバシーを侵したことになるのだろうか。私はまったくそう感じない。
法的にどうであるかも大事である。そして、自主規制やガイドラインも重要であろう。しかし、「人が人としてどう感じるか」という一番大事な「基準」を逸脱して、判断が簡単な法やガイドラインに任せてはいけない気がするのは私だけであろうか。インターネットの一住人である、SNS業者は、今その考え方が問われている。
代表主任研究員(T) 専門:情報産業論、メディア技術論
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