2009年11月8日日曜日

「言葉」を使う職業

 私は大学の講義などを通して、ことあるごとに、「メディア産業のパラダイムシフト」について触れている。例えば、「情報産業論」という講義では、インターネット広告の売上が世界的に上昇している中、既存メディア産業-例えば、その主たるものはテレビだが-の広告収入の下落が止まらず、映画産業がテレビ産業にとってかわられたように、テレビ産業も、インターネットやケイタイの出現でうかうかしてられない、などといったものである。
 しかし、一方で学生の「紙活字離れ」は進んでいるように感じる。なぜ、「紙活字」かというと、

「新聞なんか取りませんょ。高いから。電車の中では携帯で、学校へ行ったら自分のパソコン広げてウェブの新聞読めば無料だし、そもそも、質なんてかわらないでしょ?」

 というのが、大方、最近の「デジタル・ネイティブ」の見解である。これは、ある意味正しい。私も職業柄、そういった意見は否定しないし、むしろ肯定している。テレビや新聞出身の人たちと対峙することもあるが、その時も、一貫して、インターネット、ケイタイ文化の正当性を固持する・・・のが立場である。

 さて、そんな中で、業界大手のMSNが産経新聞とアライアンスを組み、記事の提供を受けている。曰く「MSN産経ニュース」である。私も、このメディアと接する機会が多いので(というか、MSの戦略で、嫌でも見せられてしまう・・・これが、無料の代償だ)あれこれと記事を読むことが多い。しかし、今月、こんなことがあった。

 11/8(日)の同メディアの「海外事件簿」というカテゴリーに掲載された記事だ。
 記事の書き出しはこのようになっている。

「ドイツ東部ドレスデンで7月、「テロリスト」などと侮辱されたとして近所のドイツ人の男を告訴していたエジプト人女性が、訴えを審理中の法廷で男に刺殺された・・・」

 驚いたのは、この記事の内容ではない。
 なんと、このページのトップには「イチオシ特集」と書かれていた。

 「イチオシ特集」と、この記事の内容は、あまりにも、その重さがかけ離れてはいないだろうか?あるいは、そう思うのは私だけか?いや、どう客観的に観ても、「イチオシ特集」という大見出しは、記事の内容からして軽すぎる。まったく、「軽率」以外のなにものでもない。

 なぜ、このようなことがおきるか。
 私のようにウェブシステムでご飯を食べている人ならすぐにわかると思うが、いわゆる「テンプレート(雛形)」である。ニュースメディアに限らず大量の情報をウェブに表示するサイトならば、複数のプログラムがそのサーバで動いている。多分、当該ページは、「イチオシ特集」というテンプレートがあり、一定の条件のもと絞り込まれた記事が、このテンプレートに「機械的」に流し込まれた結果なのであろう。しかし、機械に責任はない・・・。

 以前、ある出版大手の月刊誌編集長と会食をしているときに、「Tさん、やっぱりウェブメディアって、緊張感がないんですよ。だって、間違ったら、すぐ直せるでしょ?でも、紙メディアはそうはいかない。一回、輪転機回したら終りですよ、終り。そこには緊張感があるんですよ」と言われたことがある。

 私の立場は、それでも、「いやね、そういいますが、それいってちゃ、進歩がない。ネットメディアだって、その主体がしっかり緊張感をもってやってれば、紙以上のものができますよ」と応酬する。

 しかし、上述の11/8の記事のようなことをやられると、私の立場は危うくなる。私はこの記事を見た瞬間、怒った。その怒りの矛先は、情報の出し手、つまり、新聞社である。無論、担当者は、「そこまで気が付かなかった」、というのが結論だろうが、しかし、新聞社たるもの、提携して、その生命線と言える記事を提供しているのなら、紙と同じ緊張感を持ってやることが責任であると思う。決して、「ウェブは、クレームが来れば、すぐに修正できるから」なぞとは、思って欲しくない。

 「イチオシ特集」という大見出しの上には、「産経ニュース」というロゴが、例の目玉のマークと一緒に、輝いていた。


代表主任研究員(T) 専門:情報産業論、メディア技術論