2010年11月18日木曜日

[尖閣問題]「あの映像」から読み取れること、読み取れないこと

 尖閣諸島(中国名・魚釣島)沖で2010年9月7日に起きた海上保安庁の巡視船「よなくに」と漁船「みんしんりょう5179」(表字外のためひらがな標記)の事件の映像がyoutubeに流されたことについて、毎日のように大きな扱いで報道されている。

 多くは、あの映像を国家公務員である海上保安庁の保安官が流出させたことについての国家公務員法の守秘義務違反のみが問題とされているようだ。国家公務員の守秘義務違反については、外務省機密電文事件(西山事件)や裁判員制度の裁判員の守秘義務について語られることが多く見受けられる。流出させた行為については別途検証の必要があろう。

 しかし、あの「尖閣諸島中国漁船衝突事件 流出ビデオ 4/6」の映像を見る限りにおいて、読み取れること、読み取れないことについてのコメントがほとんどなく、また、その限られたコメントもかなり「被害者」という視点から述べられたものであるので、もうすこし冷静に、かつ客観的に「あの映像」を分析してみたい。

 あらかじめ断っておくが、私は船舶の操縦免許を持っているわけではない。ただ、船舶で少し仕事をしていた経験があるので、その限りにおいて、興味を持っている、あるいは見聞きして調べたという範囲で今回の映像を検証してみたい。


○船は急に止まれないし、曲がれない

 「狭い日本そんなに急いでどこに行く」「車は急に止まれない」という標語が1970年代の交通戦争を象徴するものとして使われたが、車以上に「船は急に止まれない」のである。

 車はタイヤと地面の摩擦によって急加速もできるし、急減速もできる。ところが、抵抗の少ない船はよりとまりにくいのである(もちろん抵抗がゼロであるわけではなく、造波抵抗などがあり、それを軽減するためにバルバスバウ(球状船首)やスクリューの設計などが重視されるのだが)。高校の物理で「慣性の法則」を教えているものと思うが、止まっている物体、あるいは等速度で動いている物体は、力を受けない限りその状態を変えることはなく、動いている物体は摩擦によるエネルギーの放出をしない限り、止らないのである。水にも抵抗はあるが、陸上や空中を移動する以上に抵抗が少ないので、あれだけ巨大な船が相当の重量物を運んでも採算に見合うのである。

 それでは、どのくらい止まりにくいか。船は発注主の依頼によって創られるオーダーメイド船が通常であるため、実際に造ってから進水して儀装がほぼ完了した後、海上公試(公式試運転)を行う。その際に、旋回試験、速力試験とともに、クラッシュ・ストップ・アスターン(クラッシュ・アスターン)試験を行う。「クラッシュ」とは、エンジンをクラッシュさせる恐れのあるほど全開運転であり、「アスターン」は「後進(後退)」を意味する。緊急停止の際にはそれこそ、機関を故障させるか、あるいは寿命を大幅に縮めるほどの全開運転を行うので、かつて日本海軍の軍艦の全開を伴う運転は海軍大臣の許可がなければできないぐらいであった。

 さらに、スクリュー船の場合には、止まりにくいだけでなく緊急停止時に舵が効かない。豪華客船のように乗り心地を重視してスクリュー自体が回転して舵を切る船もある(燃費は多少犠牲になる)が、おおよその船はスクリューの後ろに舵を設けている。通常の運行時は、スクリューの起こす力を舵に当てて、面舵、取り舵をとることができるが、スクリューを逆転させてしまうと、水流がまともに舵に当たらずに効かなくなってしまうのである。どのくらい止まらないのかというと、池田良穂氏の「船の最新知識 タンカーの燃費をよくする最新技術とは?」(ソフトバンク新書、2008年)で紹介されている事例で言えば、20万トンタンカーならば、緊急停止の指令後、進行方向に約2km、横方向に約2kmずれてしまい、完全停止までに14分40秒ほどかかってしまうのである。規模は違うものの、漁船であれ、止まりにくいことは想像できるのではないだろうか。


○「あの映像」から読めることは?読めないことは?

 そのような前提を基に、「あの映像」をみてみよう。この映像を見る限り、①海上保安庁の巡視船「よなくに」が中国漁船にぶつけられた、②「よなくに」が中国漁船にぶつかった、③「よなくに」が意図的に中国漁船にぶつかりに行った、という三パターンが読み取れるし、読み取れないのである。

 つまり、どういうことかというと、実際の映像を見ながらのほうが分かりやすい。問題の映像は11分25秒だが、衝突自体は2分15秒から17秒の間に起きている。注目していただきたいのは、二点ほどある。

 一つは中国漁船の動きであり、もう一つは、「よなくに」自体の中国漁船との位置関係である。
 まず、中国漁船の動きだが、衝突の直前の1分30秒からエンジンをかなり回している。これに対して、海上保安庁の職員と見られる撮影者は、「また、黒い煙が上がって、放出流が出ています。前進行足(ぜんしんいきあし)です」といっている。引き続き、1分51秒から58秒ごろに中国漁船はエンジンを再び回している。これを見た撮影者は「またエンジンの回転が上がりました。えー、本船の方に船首を向けてきます。挑発的です。本船に船首を向け挑発的な動きを見せています」とコメントしている。実は、このエンジン全開と見られる煙の放出は中国漁船が前進しようとしたのか、後進(後退)、つまりブレーキをかけようとした行為なのかが分からないのである。止まろうとして、エンジンを全開にしてクラッシュ・ストップ・アスターンをかけたともいえなくはないのである。

 もう一つ「よなくに」自体の動きだが、2分9秒頃から明らかになってくるのは、航跡が進行方向に向かって左に曲がってきていることである。つまり、中国漁船の進行方向に対して前方で取り舵(左)を切ったことになる。もし、中国漁船が危険を察知してクラッシュ・ストップ・アスターンをかけたのだとしたら、舵の効かない状態でぶつからざるを得ない状況になっているかもしれない。「よなくに」がなぜ取り舵を切ったのかという理由は分からないが、舵を切った事実は、航跡というはっきりした「証拠」が残ってしまっているため、否定のしようがない。となると、「よなくに」が中国漁船の前方に回りこんで回避しようがない状態に持ち込んだとも読めなくはないのである。こうなると、比較的小さな漁船とはいえ、船は急には止まれないのだから、たまったものではない。

 さらに言うと、「よなくに」が衝突直前にどのような速度で航行していたのかが読み取れないのである。
海上保安庁の船から見れば、撮影者の言うように確かに「ぶつけられた」ように見えるのかもしれないが、動いている物同士の映像は、相対的にしか見えないのである。自動車や電車などに乗っていて、相手の自動車もしくは電車を見ていて、加速しているようだが実は減速していたり、その逆だったりということは日常的に経験していることだと思う。


○映像の視点は「撮影者」の視点

 以上に見てきたように、流出した「あの映像」は動いたものの上からの視線であるし、取締官である海上保安庁の職員の目線で撮影されたものである。だから、客観的な映像とは言えない。
 もちろん、中国側の漁船が「自国の海域」で操業していたこと自体はそれなりの意図や思惑があってのことだろうし、それは「よなくに」も「自国の海域」として警備をしていたという意味では同じである。衝突したという事実は厳然としてあるものの、そこからは①~③のどのパターンであったのか、両者にどういう意図があったかどうかまでは読み取れないのである。

 映像の流出自体は、国家公務員法の守秘義務違反になるのかならないのか(私は「形式秘」にも「実質秘」にもならないと思うが)が問題とされている。それはまた機会を改めて議論したいが、より大きな問題は、せっかく明らかになった「あの映像」自体を検証する動きにはなっていないことである。中国の漁船の行為を正当化したり、非難したりするつもりはない。ただ、以上のこと触れずに、あたかも①だけの論調で中国側を批判したり、「あの映像」を流出させたことの問題ばかりを検証したりしているマスコミや世論にも大きな問題があるのではなかろうか。


主任研究員(Y) 専門:メディア倫理法制