2010年6月7日月曜日

地デジ化体験記(その3)

○これは「集団疎開」の再来か?

 「地デジ化」の奮闘について書くのは3回目だが、いろいろと考えてみると、これは戦時中などに行われた「集団疎開」の再来なのかと思えてくる節があってならない。

 「疎開」は、戦争の惨禍からまぬかせるために主に児童・生徒などの非戦闘員を避難させたり、防空目的や軍事作戦行動上の理由で建物を移設、解体したりすることだが、地デジ化の推進を見ていると、放送局も受信者もアナログ放送帯域からデジタル帯域に強制的に集団疎開させられているように見えてならならないのである。

 それが明確な跡地利用の方針もないままに、この「集団疎開」が強制的に粛々と行われていることも問題だが、より根深いのは、その決定がきわめて「民主的」手続きで行われたことである。つまり、2011年までに地上アナログ放送を廃止し、「特定周波数変更対策」と名付けられたデジタル放送完全移行を決めたのは、われわれが選出した代表で構成する国会であり、さしたる大きな議論もなく2001年6月11日に電波法が改正されたのである。そもそも、電波のひっ迫があり、「電波の適正な利用の確保を図るため」として改正しながら、その明確な需要自体が漠然としていたのである(その需要すら当時はあったのか疑わしい)。また、普段から読者・視聴者の利益のためと言っている放送事業者や放送事業者に出資している新聞においても、極めて国策遂行に順応的な論調であった(今も、地デジ推進に関してそうだが)ことも問題ではなかろうか。

 たしかに、アナログからデジタルへ移行するのは「時代の潮流」だとして理解できたとしても、衛星、地上、インターネット(光・WiFi)などを総合的に勘案して、視聴者や利用者が使いやすい次世代の規格を作り出したとは言えないのである。どちらかというと、既存の事業者の利益を優先したと思えるところがあってならない。いまさらこんなことを言っても仕方がないと思うかもしれないが、当時から問題提起してきた私としては、地デジ化を実体験してみていろいろと不具合も経験したので、「使い方は後から考えるから、とりあえず退け!!」というやり方に、戦時中の集団疎開を思い出させられてやはり釈然としない。

○跡地利用をめぐる争い

 KDDIが2010年6月3日、次世代向けの放送サービス提供を目的に「メディアフロー放送サービス企画」(東京都港区六本木、資本金5000万円)として、同社の出資比率82%で、テレビ朝日(同10%)、スペースシャワーネットワーク、ADK、電通、博報堂(以上4社計8%)との間に設立したことを発表した。一方、NTTドコモはすでに2008年12月14日、フジテレビ、ニッポン放送、スカパーJSAT、伊藤忠と均等出資で「マルチメディア放送企画LLC合同会社」(東京都港区台場・資本金1億8000万円)を設立している。

 これらの会社はアナログ放送終了後の電波帯を利用し、携帯電話利用を前提としたモバイル・マルチメディア放送の利用を目的として設立されたもので、前者が米国・Qualcomm社のMediaFlo(TM)を利用したサービスに対して、後者は、現在の日本のデジタル放送方式をベースとしたISDB-Tmmの利用を提唱している。

 今のところ、次世代放送サービスについては、一社が選出される見通しとされており(「東京新聞」2010年6月4日付朝刊)、今後の選定作業を通じて、テレビ朝日・KDDI vsフジテレビ・NTTドコモの電波割当争いを前提とした規格争いが行われることになる。
携帯電話のデジタル化は、それぞれの事業者に割り当てられていた電波帯域を再構成するために、事業者の負担において(最終的には利用者の利用料金に上乗せされているが・・・)、送受信機双方の交換が行われ、利用者にさしたる負担もなく行われたが、今回のテレビデジタル化については、ほぼ全額が新しい産業創成と新サービス提供のために、強制的に集団疎開させられ視聴者負担で移動させられ、新たな跡地利用が行われるのである。
それも、既存の放送事業者の出資を得てである。つまり、広告収入の激減により、事業的な行き詰まりを見せてきた地上波放送事業者の新たな出資先を、視聴者の負担で作り出しているのではないかと疑いたくもなるのである。

○エコポイント制度は「エゴ」なのか?

 2011年7月というデッドラインが決まっており、地上デジタル受信機の普及を目指したものの、受信機の普及はこれまで非常に低迷してきた。環境省、経済産業省、総務省が共同で「エコポイント」制度を実施して、地デジテレビへの買い替えに役立っている面もあるが、そもそも、この制度自体が「エコ」を標榜していることについて主に二つの問題がある。一つは、販売増による電力消費を考えていないこと、もうひとつは、エコ製品への代替が必要条件でないことである。前者では、以前よりも台数を増していくことに歯止めがない。仮にブラウン管から液晶テレビに買い替えて、40%程度消費電力が抑えられたとしても、2台買えば、以前の消費電力を超えてしまう。後者については、これまで使っている製品を確実に回収しなければならないし、以前に使っている製品よりも消費電力が少なくならなくては意味がない。ところが、大画面テレビを買う場合、以前に使っていたブラウン管テレビよりも、消費電力が大きく増加することがある。こうした点に歯止めがないのは問題である。むしろ、景気刺激策として「エコ」が産業の「エゴ」として利用されているとしか言いようがない。

○地デジに対するささやかな反抗

 最近、2011年7月24日で「テレビにさようなら」と言ってはばからない人が、私の身の回りに増えてきた。理由を聞くと、テレビがそもそも面白くないし、テレビを買い替えるだけの金もないからだという。とくに、大学生はテレビをほとんど見ていない。テレビっ子の私としては、ちょっと釈然としないところもあるが、そもそも私自身、リアルタイムでテレビを見ることが少なくなってきただけに、項を改めて「つぶやいて」みたい。


主任研究員(Y) 専門:メディア倫理法制