2009年11月8日日曜日

「言葉」を使う職業

 私は大学の講義などを通して、ことあるごとに、「メディア産業のパラダイムシフト」について触れている。例えば、「情報産業論」という講義では、インターネット広告の売上が世界的に上昇している中、既存メディア産業-例えば、その主たるものはテレビだが-の広告収入の下落が止まらず、映画産業がテレビ産業にとってかわられたように、テレビ産業も、インターネットやケイタイの出現でうかうかしてられない、などといったものである。
 しかし、一方で学生の「紙活字離れ」は進んでいるように感じる。なぜ、「紙活字」かというと、

「新聞なんか取りませんょ。高いから。電車の中では携帯で、学校へ行ったら自分のパソコン広げてウェブの新聞読めば無料だし、そもそも、質なんてかわらないでしょ?」

 というのが、大方、最近の「デジタル・ネイティブ」の見解である。これは、ある意味正しい。私も職業柄、そういった意見は否定しないし、むしろ肯定している。テレビや新聞出身の人たちと対峙することもあるが、その時も、一貫して、インターネット、ケイタイ文化の正当性を固持する・・・のが立場である。

 さて、そんな中で、業界大手のMSNが産経新聞とアライアンスを組み、記事の提供を受けている。曰く「MSN産経ニュース」である。私も、このメディアと接する機会が多いので(というか、MSの戦略で、嫌でも見せられてしまう・・・これが、無料の代償だ)あれこれと記事を読むことが多い。しかし、今月、こんなことがあった。

 11/8(日)の同メディアの「海外事件簿」というカテゴリーに掲載された記事だ。
 記事の書き出しはこのようになっている。

「ドイツ東部ドレスデンで7月、「テロリスト」などと侮辱されたとして近所のドイツ人の男を告訴していたエジプト人女性が、訴えを審理中の法廷で男に刺殺された・・・」

 驚いたのは、この記事の内容ではない。
 なんと、このページのトップには「イチオシ特集」と書かれていた。

 「イチオシ特集」と、この記事の内容は、あまりにも、その重さがかけ離れてはいないだろうか?あるいは、そう思うのは私だけか?いや、どう客観的に観ても、「イチオシ特集」という大見出しは、記事の内容からして軽すぎる。まったく、「軽率」以外のなにものでもない。

 なぜ、このようなことがおきるか。
 私のようにウェブシステムでご飯を食べている人ならすぐにわかると思うが、いわゆる「テンプレート(雛形)」である。ニュースメディアに限らず大量の情報をウェブに表示するサイトならば、複数のプログラムがそのサーバで動いている。多分、当該ページは、「イチオシ特集」というテンプレートがあり、一定の条件のもと絞り込まれた記事が、このテンプレートに「機械的」に流し込まれた結果なのであろう。しかし、機械に責任はない・・・。

 以前、ある出版大手の月刊誌編集長と会食をしているときに、「Tさん、やっぱりウェブメディアって、緊張感がないんですよ。だって、間違ったら、すぐ直せるでしょ?でも、紙メディアはそうはいかない。一回、輪転機回したら終りですよ、終り。そこには緊張感があるんですよ」と言われたことがある。

 私の立場は、それでも、「いやね、そういいますが、それいってちゃ、進歩がない。ネットメディアだって、その主体がしっかり緊張感をもってやってれば、紙以上のものができますよ」と応酬する。

 しかし、上述の11/8の記事のようなことをやられると、私の立場は危うくなる。私はこの記事を見た瞬間、怒った。その怒りの矛先は、情報の出し手、つまり、新聞社である。無論、担当者は、「そこまで気が付かなかった」、というのが結論だろうが、しかし、新聞社たるもの、提携して、その生命線と言える記事を提供しているのなら、紙と同じ緊張感を持ってやることが責任であると思う。決して、「ウェブは、クレームが来れば、すぐに修正できるから」なぞとは、思って欲しくない。

 「イチオシ特集」という大見出しの上には、「産経ニュース」というロゴが、例の目玉のマークと一緒に、輝いていた。


代表主任研究員(T) 専門:情報産業論、メディア技術論

2009年10月27日火曜日

歴史的な文章

 また、前の投稿から間が空いてしまった。大学で教員をやっている人が多いメンバーだと、どうも講義のある時期はスカスカになりぎみ。気を取り直して、長い目でやっていきましょう。
 
 さて、今回は「歴史的な文章」と題して、インターネットの歴史上、筆者が独断と偏見で重要と思われる文章をいくつか上げてみたいと思う。
 まず最初は、「Netizens: An Anthology」である。
 知る人ぞ知る、であるが、私が学生だったとき、コロンビア大学のサーバーにアクセスしてこのテキストを落としてプリントアウトし、ファイリングし、大事に本棚にしまっておいたものだ。あれから15年も経過してしまった。
 「ネチズン」とカタカナで書くと分かりにくいが「Netizen」と書けば「Net」と「Citizen」の造語であることは一目瞭然である。造語というか、もはや「ネチズン」という単語になっていると言っても良いであろう。いまや、ブログにSNS、GoogleにYouTube、そして携帯インターネットと、TCP/IP、つまりは、インターネット(the Internet)無しには私たちの生活は語れない。そうした市民を「インターネット市民」≒「Netizen」としたわけである。
 このアンソロジーを提唱したのは、コロンビア大学のマイケル・ハウベンという研究者であると言われている。なにせ、第一章の題目が美しい。「The Net and the Netizens: The Impact the Net has on People's Lives」である。
 今でも、コロンビア大学のサーバーに置かれたこのノートは、次の世代、つまり、デジタルネイティブの時代にも受け継がれていくことだろう。

 さて、もう一つは、「RFC 1468」である。正しくは、1468番目のRFCということになろう。RFCの詳細はここでは割愛するが、これは私たち日本人にとっては、歴史的な文章であることは間違えない。このRFCが書かれるまでは、電子メールは、英語でしか書いてはいけないことになっていた。しかし、日本でもインターネットが普及しはじめると、ローマ字での電子メールのやりとりが次第に増えてきて、WIDEプロジェクトの代表者、村井純氏(現・慶応義塾大学教授)が日本語で電子メールが書けるように、この1468番目のRFCを書いたわけだ。そんなことはないだろうが、村井先生がこのRFCを書かなければ、今私たちは、こうやって電子メールを書いていないかもしれない。(まぁ、それはないけど)。余談だが、先日、車で都内を走っていたら、「1468」というナンバープレートのフィアットを発見。思わず、追いかけて、乗っている人物が村井先生じゃないことを確認するも、心の中では、「弟子だな」などと、ひとり微笑していた次第である。とにかく、「RFC 1468」は、日本のインターネットにとって非常に重要なRFCであることは間違えない。
 その村井先生の率いるWIDEプロジェクトも20年が経過し、先だって、9/29に「WIDEプロジェクト2009年9月報告会」が行なわれ、30年目に向かって新たなスタートを切った。プロジェクト代表(CEO)は村井先生、そして、COOには、江崎浩氏が選出された。江崎氏も村井先生同様、日本のインターネットを牽引してきた先人の一人である。いずれにせよ、この10年もWIDEプロジェクトの活動に大きく期待したい。
 ところで、当社には会議室がいくつかあり、月並みであるが、部屋一つ一つに名前がついている。メインの会議室は2つあり、その内の一つは「WIDE」と名づけられている。そして、もう一つは「CERN」。なぜ「CERN」かは、また別の機会があれば、そこでお話したい。

代表主任研究員(T) 専門:情報産業論、メディア技術論

2009年8月30日日曜日

逝く夏(2)

(前回からの続き)

 そして、ドン・ヒューイット。彼は初めて大統領候補者たちのテレビ討論会を仕掛けたことで知られる。新聞やラジオに比べて評価の低かったテレビのジャーナリズムとしての機能が、それらに勝るとも劣らないことを証明した人物である。初のテレビ討論会の主役となったケネディとニクソンは、テレビという新手の媒体の前に好対照を見せる。ハンサムで見栄えのするケネディはテレビに打ってつけで一躍支持を伸ばした一方、ニクソンは陰鬱なテレビ映りで大きなダメージを受けた。ラジオで討論会を聞いていた人たちには、その低く落ち着いた語り口でニクソンが勝者だと思われていた、というのは皮肉な話である。TVニュースの先駆者として名高いヒューイットの経歴の中には、TVテロップといった今では当たり前になっている「発明品」などが数々含まれるが、その中でも特筆すべきは「60ミニッツ」というニュースマガジンと呼ばれる形式の新しい報道番組を開発したことにあるだろう。

 「60ミニッツ」は、1968年に始まり、今もって放送が続いている「超」長寿番組である。放送開始当初はなかなか視聴率がとれず、さまざまな曜日のさまざまな時間帯をさまよっていた。しかし、日曜日の午後7時という住処を見出すや現在に至るまで高視聴率を保っている。「報道」という社会的役割と、「利益」というテレビ局の企業としての命題の両方を充足させる番組として、放送史の金字塔とも言える。日本でも「CBSドキュメント」という番組名で放映されており(TBS 毎週水曜26:04)、ご存知の方も多いのではないかと思う。(日本版のほうもさまざまな遍歴があるようだ。)

この番組では1時間が3つにわけられ、それぞれ違うテーマを名物のレポーターたちが追いかけるという構成になっている。ちょうど、雑誌が特集を組むような「ニュースマガジン」という形式である。レポーターたちの事実追及の姿勢には容赦がなく、相手が大統領だと一般市民だと歯に衣着せぬもの言いに、見ているこちらの方が緊張することもしばしば。しかし、この真剣勝負こそが「60ミニッツ」の真骨頂と言える。それを裏打ちするのは老練なレポーターたちのプロ魂。「経験」それが、この番組をして他の追随を許さぬ存在にしているのだ。番組開始当時からのレポーターを務めていたマイク・ウォレスは、2006年に88歳で引退するまでレポーターを続けていた。この番組では40代なんてまだまだひよっ子に過ぎない。30年前にインタビューした相手に、同じレポーターが再度インタビューする、などといった離れ業もこの番組ではしばしばみられる。「老害」はないのだろうかと余計な心配さえしてみたくもなるが、レポーターたちの経験に裏付けられた洞察力とインタビュー力には、確かにプロの仕事の凄みがある。

そういえば、かつて「筑紫哲也のNEWS23」で「老い」が特集された時、筑紫哲也が「60ミニッツ」のオフィスを訪ね、ドン・ヒューイットたちにインタビューをしていたことがあった。思い起こせば、クロンカイトがCBSイブニング・ニュースの締めの言葉として用いていた名台詞”And That’s The Way It Is”も筑紫に引用され、「今日はこんなところです」と「ニュース23」の放送が締められていた。だが、クロンカイトもヒューイットも筑紫哲也も、もういない。そして、実感もないまま、夏が終わろうとしている。

客員研究員(K) 専門:メディア論、映画産業論

2009年8月25日火曜日

逝く夏(1)

 先月のウォルター・クロンカイトの訃報に続き、CBSニュースの名プロデューサー、ドン・ヒューイットが亡くなったというニュースが流れた。週末、かまびすしい選挙報道の中でひっそりと埋もれるように伝えられたのでご存知ない方も多いかもしれない。あるいは、ニュースキャスターであったクロンカイトとは異なり、基本的にヒューイットはテレビの裏方の人だったので、もともと名前も知らない、というのが大半かもしれない。筆者は大学院での研究をきっかけに、この二人の足跡を辿った経験があり、相次ぐ「巨星」の訃報に、時代の移り変わりと寂寥感、そしてかすかな不安とも言える感情を抱いた。

ウォルター・クロンカイトが亡くなったのは7月17日。CBSイブニング・ニュースのアンカーの座を降りてから28年、92歳での死だったが、オバマ大統領が声明を発表するなど、「アメリカで最も信頼された男」の存在感はいまだ衰えていなかった。彼は、第2次世界大戦中に従軍記者として活躍したあと、1950年代にCBSのキャスターとなってからは、看板アンカーとしてケネディ大統領の暗殺を涙ながらに伝え、アポロ11号の月面着陸に欣喜雀躍し(のちに自らも宇宙にいくことを志願。結局かなわなかったが。)、それこそ、アメリカ内外で起こった大小の出来事は常にこの人の言葉を通してアメリカ国民に伝えられた、と言っても過言ではない。しかし普段は自身の意見や感情を抑え、あくまで客観的に出来事を伝える媒介に徹していたという。しかしながら、一度だけその禁を破ったのが、かの有名なベトナム戦争の報道であった。1968年、政府の発表とは裏腹にベトナム戦争が泥沼にはまりつつあることを喝破したクロンカイトは、番組中、激しい口調で戦争の継続に反対を表明したのだ。当然のことながら、アメリカ世論は多いに動揺し、当時のジョンソン大統領が「クロンカイトを失うということは、アメリカの中道を失うということだ」と語ったことはあまりにも有名。一人のニュースキャスターの言葉が、大統領や世論を突き動かすほどの力を持っていたのだ。キャスターの言葉(もしかすると全人格だったかもしれない)に国民が全幅の信頼をおき、キャスターもそれにこたえる存在たらんとした古き良き時代のお話。言葉が、取り繕いと欺瞞をまとったこの国に住む私たちからは想像もできないような世界である。

 じつは筆者は3年ほど前、NYでクロンカイト氏のオフィスを訪れたことがある。残念ながらご本人は不在で、彼の部屋でアシスタントと話をしただけであったが、希代のニュースキャスターの存在がそこここに感じられる空間に身を置くという幸運に恵まれたことを、ただただ感謝するのみであった。印象的だったのは、ジョージ・クルーニーと一緒に写った写真が飾られていたこと。当時、クルーニーはマッカーシズムに真正面から対抗した伝説のニュースキャスター、エド・マローを主人公に「グッドナイト・アンド・グッドラック」という映画を監督しており、そのプロモーションにクロンカイトも一肌脱いでいたのだ。クルーニーの父親もかつて地方局でニュースキャスターを務めた人物で、エド・マローはクルーニー家のヒーローだったという。そして、クロンカイトにとってもまた、マローはキャスターの大先輩であり、ある意味使命感のようなものを持ってプロモーションに参加していたのかもしれない。あるいは、テレビ・ジャーナリズムが物議を醸すようなテーマを避け、無難な報道に終始する昨今のジャーナリズム界にあって、「映画」というメディアを使い「社会派」としてギリギリのテーマに取り組むクルーニーに、ジャーナリズムの「気骨」を見ていた、とも考えられる。

つづく・・・

客員研究員(K) 専門:メディア論、映画産業論

2009年7月31日金曜日

洋画、邦画、どちらを見る?~洋画不振におけるインサイダー的考察~(2)

 前回からずいぶん間があいてしまったが、その間の状況変化も加味しつつ、懲りずに「洋画不振」について考えてみたいと思う。

戦いを終えて「カンヌ熱」も冷めると、自分たちの作品選択がはたして正しかったのか、適正な値段で購入ができたのか、次第に疑問と不安が頭をもたげてくる。これは、あまり知られていないようだが、洋画の購入は「先物買い」が主流である。(「あった」と過去形にするのが正しいのかもしれない。)つまり、作品の撮影に入る前、脚本しかできていない段階で、監督やキャストといったその時点で決定している断片的な情報を手がかりに、「買う・買わない」を決めるのである。これは、買い付け作業自体が競争であり、完成まで待っていては他社にとられてしまうからだ。

そして、買い付けてからその作品が実際に日本で劇場公開されるまでに1年から2年。その間にトレンドや社会情勢が大きく変化してしまう、ということもしばしばだ。例えば3年前の韓流ブーム。日本でも特に人気のあるスターを起用した作品には当然ながら人気が集中した。複数の配給会社がそろばんをはじいてバラ色の試算を出し、最終的に一番高い値を付けた会社が作品を競り落とした。しかし、その作品の劇場公開時にはブームは去っており収支は真っ赤、という例が、特にブームの後半には多く見られた。購入から実際に結果がでるまでのこの時間差もまた「洋画不振」につながる一つの要因といえるのではないか。収益予測が難しくリスクが大きい。思い入れたっぷりで購入したものの、仕上がりが期待はずれなんてことも珍しくない。逆も然り。不安を抱きつつ購入したが、期待以上の出来栄えに胸が高鳴ることも。これではまるでギャンブルではないか。

幸か不幸か、昨今の「洋画不振」と不況があいまって、この「先物買い」の体質が是正されつつある。怖くて誰も手が出せない、というのが正直なところではあろうが、それでもやはり、仕上がりを見て判断する、というほうがよっぽど健全に思える。加えて、買い付けの値段もかなり低く抑えられてきた。かつては、製作費の10分の1が日本の値段、と言われた。韓流ブームの際には製作費の100%、時にはそれ以上の額でディールがまとまるということもあった。それでも採算がとれると思っていたからだが、今思うと、熱に浮かされ、正常な思考を失っていただけに思える。そういう意味では、不況に苦しみながらも、買い付けという面では適正価格に戻ったという意味で、今がある意味正常なのかもしれない。

客員研究員(K) 専門:メディア論、映画産業論

2009年7月21日火曜日

「官僚たちの夏」?

 十数年前に書いた修士論文の一部で「テクノクラート」の存在を分析したことを思い出した。テクノクラートとは、テクノロジーとビューロクラートをくっつけた言葉で、つまり「技術官僚」のことをいう。別に私自身は、官僚機構を専門に研究していたわけでなく、あくまでも、インターネットに代表される通信技術の決定過程を社会学的に勉強していた。この「決定過程」という言葉は、ちょっと特殊ではあるが、世の中多くの「規格もの」がある。例えば、「線路の幅は誰が決めたの?」からはじまって、最近では「アナログ地上波(テレビ)の停波と、完全デジタル移行は誰が決めたの?」まで、技術の決定過程はさまざまだ。多くの場合、業界団体が決めたり、公共性の高いものは、「国」が決めたりする。変わったところで、インターネットの技術の根幹であるTCP/IPなんかは、誰かが決めたわけではなく、語弊を恐れず簡単に言ってしまえば「みんなできめた」技術であって、そのプロセス、つまり、技術の決定過程は、民主的な手続きといわれており、これまで多くの研究者が触れてきたのである。また、国際的に規格化しなくてはならない場合は「ISO(International Standardization Organization)」なんていう、日本人には到底発音できない機関があって、ここがイニシアチブをとって決めたりもする。後は、市場の原理が決める、デファクト・スタンダードと呼ばれる決定過程もあり、VHSとベータの攻防などは、この一例としてあまりにも有名である。まとめると、お上(おかみ)や、お上っぽいところが決めるもの、自然と決まるもの、市場がきめるもの、荒っぽく、この3つくらいに集約されるだろうか。この中で、お上が決めるもの、については、いろいろ厄介である。とくに時節柄、お上への風当たりは強い。アナログ地上波停波の話だって、そもそも国民が望んだか?みたいな話にもなりかねず、そこに場合によっては税金の一部が投入されることの是非もある。歴史を振り返れば、お上が税金を使って大きな実験をして、実用化できずに、お蔵入りした技術は山積みで、その度に、責任問題となる。しかし、である。イノベーションは、国の発展に極めて重要な役割持つ。また、イノベーションの意味には、トライ・アンド・エラーも含まれる。従って、税金を使ってエラーをするのは、悪いことではない。エラーをいっぱいしないと、前には進めないし、良いものはできない。「お上」といえども「神」ではない。どんなに優秀な官僚でも失敗くらいはする。しかし、その失敗が次に生かされているかどうかが重要で、この辺は、畑村洋太郎先生の名著に譲るとして、表題の「官僚たちの夏」である。TBSの日曜劇場で放映中だが、これは、まさに「お上」による技術決定過程の話を永遠としている。通産官僚が戦後日本の復興を技術の面からリードして成功させたと、そう語っているが、ここに出てくる官僚たちの描かれ方に、私は強い違和感を覚える。「原作以上に産業政策バンザイで驚いた」とは、池田信夫先生のブログから。まったくその通りである。しかも、政権交代ささやかれるこのタイミングのオンエアー。私なんぞは、いろいろ勘ぐりたくなる。巷では、「あれを見て、仕事のやる気が出た」なんていっている人がいたりするが、そーじゃないだろぉ、と思ったりもする。
 ここまで、だらだらと書いてきたが、今回、私が本当に書きたかったことは、こういうことじゃなくて、ある知人の一言。その知人の奥様は、旧・郵政官僚でITU(International Telecommunication Union;国際電気通信連合)に出向して、国際的なバランスの中で、日本の通信政策を検討していたという。任期は2年だったと。え?2年?前述のインターネットの技術が今の地位を獲得するまで、半世紀以上の長い年月が経過している。その間、米国のテクノクラートたちは、脈々とその意志を受け継ぎながら、今がある。それがテクノクラートによる「決定過程」というものである。しかし、である。日本のITUの出向期間はたったの2年だという。一方、イギリスについて聞くと、イギリスは20年だとか・・・。この話が本当であれば、とほほ、といわざるを得ない。日本のテクノクラートは優秀なのであろうが、環境がこんなに違っては、できるものもできない。イギリスと10倍違う考え方に、驚いた今日この頃である。

代表主任研究員(T) 専門:情報産業論、メディア技術論

2009年6月24日水曜日

「Twitter」の悲劇

 う~ん。6月の投稿がなかなかできなかった・・・。皆さん、すみません。主任研究員他が忙殺されておりました。そういう時期だったりします。さて、気を取り直して表題の件、投稿を致します(-:

 米クリントン国務長官が「Twitterはイラン国民にとって重要」とコメントし、同社のメンテナンス時間を、イラン時間に合わせて遅らせるように要望したことは記憶に新しいと思う。一企業のベストエフォート型のサービスのメンテナンス時間についても注文をつけるとは、いかにもアメリカらしいポリティカル・コントロールだ。
 性善説の立場を取れば、インターネットは民主的な道具で、その成り立ちも極めて民主的な方法で成長してきた「不偏不党」の技術(あるいは、技術の上に成り立ったメディア)である、ということもできる。しかし、テレビなどの既存のメディアを越えてこれだけ人々の生活にインターネットの技術が浸透してしまうと、そういった議論でエポケーしてしまうのは、あまりに危険である。重要な点は、技術の発展過程、もうちょっと学術的な言葉を使えば、技術決定の過程に関しては、いままでにない民主的な方法であったことは間違えなく、それは現在も変わらない。オープンソースの精神を広げ、そして実行していることは「文化遺産」に値すると感じる。しかしそれは、インターネットを支える根本技術に限ってのことである。その技術の上を流れる情報やコンテンツについては、いままでのメディア及びメディア産業の系譜をそのまま受け継ぐといっても過言ではない。無論、梅田望夫氏的なWEB2.0の集合知的議論には、ある一定程度共感するし、その通りであると思うが、インターネットの技術が「無機質」であればあるほど(ここで言う無機質というのは、既得権益や政治的諸問題から切り離されているという意味)、言い換えれば、ピュアであればあるほど、ポリティカル・コントロールに弱いといわざるを得ない。そういった例を挙げればきりはないが、例えば、グーグルの中国進出の際、「天安門」というキーワードについての検索結果を妥協した事例は、あまりにも有名である。この時、そもそも「ギーク」の集団であれば、断固として中国政府と戦うべきだ論と、グーグルといえどもアメリカ的なベンチャー企業。利益の追求、株主への利益還元のためには、手段を選ばない論の両方が聞かれた。
 さて、今回の「Twitter」に関して言えば、このニュースを聞いたときの私の第一印象は、「かわいそう」である。つまり、政治的諸事に巻き込まれてしまって、かわいそう、と、そう感じたのである。「Twitter」自体は非常にシンプルで、ユーザビリティの高い、インターネットならではのクロスボーダーなサービスである。だからこそ、政治的活動、あるいは、もっと広く捉えるならば、社会活動に利用しやすいわけで、それがあるべき姿かもしれない。しかし、何が「かわいそう」であったかといえば、インターネットの技術と特徴を理解し、「ギーク」が作って一定の成功を収めつつある「Twitter」が、いとも簡単に「政治の道具」とされたことである。無論、当該案件は外交。一歩も余談を許さない状況にあることは理解できるが、報道である記者は「Twitterにメンテナンス延期を要請したことは、イランへの内政干渉だという批判があるが」と、国務長官に問うている。うーん。そもそも、イランへの内政干渉の前に、「Twitter」への内政干渉なのである。無論、インターネットデータセンターなどに対する一定の当局への協力義務が法制化された事例は米国でも日本でもある。だからといって、今回の「Twitter」への一定の政府のあからさまな関与は、腑に落ちない、あるいは、同意できない、というのが私の本音だ。
 ところで、クリントン国務長官といえば、前大統領夫人である。クリントン・ゴア政権は、それまで軍需産業に支えられてきていた政治的バックボーンを、IT産業へとシフトした政権ともいわれている。1993年1月にクリントンが大統領に就任し、翌2月22日に同政権のテクノロジー戦略を公式に発表する場を、シリコンバレーに位置する、シリコングラフィックス社に選んだのも象徴的である。特にゴアは、NII構想をGII構想へ拡大させ、アメリカ発のコンピュータネットワークを世界中に伝播させた、いわばIT政治家なのである。その結果、「インターネットの爆発」が起こり、現在に至っている。彼の政治家としての功績は良い側面だけ捉えても絶大だったと個人的には思っている。話は、大げさになったが、IT産業を生み出したクリントン政権のクリントン夫人が、今回「Twitter」に対して政治的な注文をつけたのは、とても皮肉なことである。
 そもそも、「インターネット」とは、「ピュア」とはほど遠い、「政治的なるものの道具」だったのかもしれない、と勘ぐりたくもなるのである。無論、そうであったなら、不幸極まりない。これを語り出すと止まらないので、今日はこの辺で。

代表主任研究員(T) 専門:情報産業論、メディア技術論

2009年5月30日土曜日

洋画、邦画、どちらを見る?~洋画不振におけるインサイダー的考察~(1)

 5月24日、第62回カンヌ映画祭が幕を閉じた。最高賞にあたるパルムドールはミヒャエル・ハネケ監督の「白いリボン(Das Weisse Band)」。第一次世界大戦直前、ドイツ北部の村がファシズムらしきものの影響を受けていく様子を白黒で描いた作品だという。 筆者はこの作品を見ていないのだが、ストーリーなどから推測するに、昨年の「クラス(Class)」に引き続いて地味めな作品か。パルムドール受賞が(もっと言えばアカデミー賞でも受賞しない限り)、洋画の商業的成功にはつながらないのが昨今の日本映画界事情。過去に何度かバイヤーとしてカンヌ映画祭に参加したことのある筆者としては、この「白いリボン」が日本でどのように展開されるのか注目していきたい。業界の片隅で生きる者として昨今の「洋画不振」には忸怩たる思いがあり、何とか挽回のヒントをつかめないかと日々煩悶している。(念のため、ここで言う洋画とは日本映画以外の外国作品である。) 

2006年は日本の映画界にとってまさに大きな変化の年であった。21年ぶりに邦画の興行収入が洋画を抜いたのだ。そしてそれ以降「邦高洋低」状況は続いている。ハリウッド大作から単館系インディペンデント作品に至るまで洋画は青色吐息。「大ヒット」と謳っても、かつてのような勢いはない。翻って邦画はといえば、今やトレンドの最先端。筆者の青春時代(そんなに遠い昔ではない。1990年代!「青春」という言葉自体が死語か?)、若者の感覚で言うと邦画は「ダサ」く、「男はつらいよ」に代表されるような年配のコア・ファンのものであったと記憶している。

 前置きが長くなってしまったが、この機に、カンヌでの体験を手がかりに「洋画不振」といわれる要因について筆者なりに考えてみたいと思う。(長くなってしまいそうなので、何回かに分けたい。)今回はまず、バイヤーにとってカンヌがどのような場所なのかを説明しておこう。

カンヌ映画祭は毎年5月の中旬に開催される。5月のコートダジュールの風は朝晩はまだ肌寒いが、日中は強い日差しが照りつける。しかし、空気は乾燥していて非常に過ごしやすい。ベルリンやヴェネチアとあわせて世界三大映画祭と呼ばれる映画のお祭りの中でも、カンヌは別格。12日間の開催期間中、「カンヌ熱」とでもいうべき不思議な熱狂が、普段は静かな南仏の街を支配する。ところが、この「カンヌ熱」こそが要注意!

「カンヌ熱」に浮かされるのは何もレッドカーペットを歩くスター目当ての観光客や、世界各国の映画の上映を心待ちにしている映画ファンだけではない。映画祭に併設される映画業界関係者の見本市であるマルシェ(マーケット)では、売り手(セラー)、買い手(バイヤー)ともに、この年間最大のビジネス・チャンスにある種の高揚感をもって挑む。パレと呼ばれる見本市会場(東京ビッグエッグをご想像頂きたい)だけではなく、クロアゼット通りと呼ばれる海岸沿いのメインストリートに立ち並ぶ高級ホテルやアパートメントもそのほとんどがセラーや業界関係者の臨時オフィスとなり、人が慌ただしく出入りする。朝から夕方までびっちり予定の詰まったスケジュール帳を小脇に抱え、各国セラーとのミーティングをこなすため、バイヤーはこのクロアゼット通りを文字通り端から端まで、ミーティングからミーティングへとめまぐるしく移動するのである。その合間に試写をし、夜は接待ディナー、パーティ、また試写(夜中まで続くことも)、その合間に脚本を読まなければならないし、購入作品を決める打ち合わせもある。まさに「怒涛」という形容がぴったり。購入する作品が決まれば、その作品を販売しているセラーとの交渉にあたる。日本で人気のあるキャスト、日本人受けすると思われる作品には人気が集まり、数社で競合になることもしばしば。この場合、値段は釣りあがり、胃はキリキリ。カンヌとはバイヤーにとって、まさに情報と体力を要する消耗戦であり、華やかな舞台の裏で実は熾烈な攻防が繰り広げられているのである。(つづく)

客員研究員(K) 専門:メディア論、映画産業論

2009年5月12日火曜日

第一回「CDショップ大賞」決定!

 5月2本目は、時事ネタ。

 本日「CDショップ大賞(http://www.cdshop-kumiai.jp/)」が発表になり、渋谷のHMVでイベントと授賞式が執り行われた。いままでの、例えば、レコード大賞などとは異なり、投票権を持っている審査員は、一般のCDショップ「店員」の皆さんである。あくまでも、生活者目線。

 そういえば、これと似た賞を思い出す。

 そう、もう知っている方も多いと思うが

 「本屋大賞(http://www.hontai.or.jp/)」だ。

 一般の書店員さんたちが立上げ審査員を務めたこの賞。大賞や、入賞作品が、ミリオンセラーとなり、世に出てきた。私としては、当時すごいインパクトを受けたことを覚えている。NPO法人化もしており、書籍文化のボトムアップを、まさに、生活者目線で行なった賞といっても良いだろう。リリー・フランキーの『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(扶桑社)や東野圭吾の『容疑者Xの献身』(文藝春秋)、小川葉子『博士の愛した数式』(新潮社)などは、本としてミリオンセラーになるばかりでなく、映画化もされているので、聞きなれた作品かもしれない。

 さて、今日の「CDショップ大賞」は、このCD版といってもいい。詳細は、ホームページをご覧いただきたいが、大賞に、「シフォン主義」相対性理論、準大賞に「THIS IS MUSIC」大橋トリオ、「GAME」Perfume、がそれぞれ選ばれている。

 私はかねてから色々なところで、半ば確信犯的に、既存のメディア産業を旧メディアと呼び、インターネットに代表されるメディアを新メディアと呼び、これを、二項対立モデルのように書いてきた。結果、いつも、新メディアが勝る、というのが、大方の文脈であった。

 例えば、楽天やライブドアのテレビ局の買収騒ぎにおいても、なぜか、この新旧両メディア産業は、すぐにけんか腰になる。というか、旧メディア産業が新メディア産業を受け入れないのである。特に、ライブドアがフジテレビ(系列)を買収にかかったとき、フジテレビのトップが、嫌悪感や怒りをあらわにしたが、私からすれば、「じゃ、なんで上場したのよ。買収されるのが『怖い』なら、上場しなきゃいいじゃないよ」と言いたくなって、いろいろな場で、そう言ってきた。

 ということで、前置きが長くなったが、どうも、この新旧両メディアの接触は刺激的なようである。あの買収騒動の際、ライブドア元社長の堀江氏は、ジャーナリストの江川紹子氏のインタビューで「(インターネットは)、新聞やテレビを殺していくんです」と、これまた刺激的な発言をしている。これも確信犯的な発言だとは思うが、それにしても、刺激的である。

 さて、ここで本題。結論から言えば、この新旧両メディア産業は対立する必要なんてないのである。ましてや、インターネット産業は既存のメディア産業を「殺そう」なんて、これっぽっちも思っていない。以前、このブログで、IPTV(もっと言えば、インターネットテレビ)についても触れたが、その際も、インターネット的なものと、テレビ的なものの「対立」が、どうしても生じてしまうことに触れた。この議論には、一番大切にされるべき、生活者が不在で、既得権益者がその既得権を守ることに必死になっているだけのように見える。生活者にとって、あるいはテレビの場合は、視聴者にとって、何が一番大切なのか、を考えることが大切であろう。生活者にとって、メディア接触の「デバイス」は何であろうと関係ない。小説を本で読もうが、携帯で読もうが、どっちだっていいわけである。それは、産業側がおしつけるものではなく、提案するものである。互いが互いを補完しあっていけば良いのである。現に、在京キー局が株主に名を連ねるインターネットベンチャーは数多く存在する。そうやっていけばいいと思う。

 そして、さらに大切なことは、インターネット的な人たちは、「旧態依然とした体質」が大嫌いである。無論、インターネットの歴史をひっくり返せば、元は反骨精神バリバリのハッカー文化にそのルーツを見出すことができるわけで、ビューロクラティックなことは大嫌いなのである。

 ここまでの話を踏まえて、話を元に戻すが、昔からあった、「レコ大(レコード大賞)」や、文学の世界でいう「芥川賞」や「直木賞」は、審査をする人たちがプロだった。そして、密室での審査だった。インターネット的な人たちは、こういうのが大嫌いなのである。

 「もっと生活者目線でやらなきゃだめだ!」

 インターネット的な人たち、言い換えれば、新しいジェネレーションの人たちは、きっとそう思ったのだろう。そんな中で、「本屋大賞」や「CDショップ大賞」といった企画が出てきて、結果、出版、CD、それぞれ産業としては右肩下がりになってきているが、それぞれのメディア業界のボトムアップをすることに成功した(少なくとも前者は)のには、非常に大きな意味があるし、「旧態依然体質」への、おおきなアンチテーゼになったのではないだろうか。 梅田望夫氏的に言えば「WEB2.0」的なるものである。


代表主任研究員(T) 専門:情報産業論、メディア技術論

2009年5月3日日曜日

民放連に加盟しないテレビ局

 2009年5月1日、色んな意味で「とんでもない」放送局が開局した。その名も「BeeTV」。エイベックスとドコモが合弁で作った、「エイベックス通信放送」という会社が母体である。

http://japan.internet.com/finanews/20090330/3.html

 簡単に言うと、「携帯だけで見られる『放送』」を行う会社。つい一つ前の投稿で、「『通信』と『通信』の融合」という、ちょっと皮肉った文章を書いたので、この件に、触れずにはいられない。

 この会社、資本金が35億。そんでもって、資本準備金も35億。エイベックスが70%を出資し、残りがドコモ。

http://www.avex.co.jp/j_site/ir_news/pdf/080930_1.pdf

 どでかい話である。

 そもそも、エイベックスの松浦社長は、そんなことぜんぜん意識していないと思うが、この社名、私の興味ど真ん中である。曰く、「エイベックス通信放送」。「通信放送」って。要は、「通信と放送の融合」なんていって、既得権益者達がまじめに「自分達の既得権益を守るべく」議論してるのを尻目に、もうやってますよって。時代は、もうこうだと。
 iPhoneにSkypeが乗った話をしたが、時代の潮流を真に捉えているという意味では、それに似ている。なにせ、携帯(ドコモに限るが)のパケット通信(≒IP通信)で、放送的、あるいは、テレビ的なコンテンツが見られる。無論、オンデマンド。地デジ化で、IP再送信がどうだとか、こうだとか、そんな議論、とっくに通り過ぎて、もうやっちゃってる。世のデジタルネイティブ達は、とっくにテレビから携帯にその時間の使い方がシフトしてきている中で、しごく、真っ当なビジネスであり、挑戦であると思う。
 無論、エイベックスはエンターテイメント企業。コンテンツのほとんどはエンターテイメントだろう。従って、既存の放送局が持つ公共性だとか、なんだとかの議論に巻き込まれずにすむ。既成概念にとらわれない、そんな専門チャンネルだ。
 「通信」インフラ会社のドコモが「テレビ的なモノ」に参戦してくるのは予期していたが、その相手が、エイベックスになるとは。東証1部に上場している企業の中で、もっとも流行に敏感な企業、かもしれないエイベックスが、こういった事業に乗り出すことは、情報産業の視点からも見逃せない。
 無論この放送局、民放連には加盟していない。民放連は、このことにどんな思いだろうか。自分達が「置いていかれている」ことに気づいているのだろうか。今度、民放連の人に聞いてみよう。たぶん、何とも思っていない、何も感じていない、と思う。それが大問題なのに・・・。
 一方の「マックス松浦」。さすがである。このご時世に、50億のリスクマネー。賞賛に値する。CPとIP通信技術のタッグは、今後も多く出てくると思う。こういった世の中の流れが、既存の放送局の考え方に風穴をあけてくれることを、あるいは、危機意識を持たせてくれることを、強く期待せずにはいられない。
 GWということもあり、ちょっと頭がボケている。備忘録的に言いたいことだけ言わせていただいたが、あしからず。

代表主任研究員(T) 専門:情報産業論・メディア技術論

2009年4月20日月曜日

「『通信』と『通信』の融合」

 情報通信メディアの環境についてブログを書こう、と言い出しておきながら、ド頭からちょっと本題からずれた話を書いてきてしまっているので、この辺で多少、方向修正をしておこう。まぁ、ずれた話も、それはそれで有意義なのだが・・・。
「通信と放送の融合」が議論されはじめて、もう随分長い時間が経過している。この議論も、パケット通信の技術的台頭と安定や、地デジ化を控えたテレビの文脈の中で蛇行しながらも前に進みつつある。例えば、地デジのIP再送信の議論や、NTTのNGNへの巨額投資、そして、動画の圧縮技術の進歩などなど。そもそも、通信と放送を分別して考える必要が技術的側面からは薄れつつある。色濃く分離したいのは、霞ヶ関や既得権益者が残されるのみとなったのではないだろうか。
 そんな中、おもしろい記事を発見した。おなじみ、Apple社のiPhoneのアプリケーションにSkypeが乗ったという(http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0903/31/news025.html)。正確に言えば、SkypeがiPhone向けのSkypeアプリケーションを作ったのだ。さて、これは実に面白い。ご存知Skypeは、VoIPの草分け的存在だ。私も海外出張の際には、PCに入れたSkypeを重宝している。なにせ、無料で世界中と話やチャットができ、必要あらば、世界中の携帯電話や固定電話に、超格安で電話がかけられる。以前、欧州を旅行中にギリシャで近い知人の訃報を受け、ホテルのネットに繋いだノートパソコンから、関係者と何時間にも渡りSkypeで電話をしたが、そのコストはたった数百円だった。さて、話を元に戻そう。そのSkypeがiPhoneに乗ったのである。特段驚くようなことではないかもしれないが、簡単に言うと、「電話のサービスが電話機に付いた」のである。誠に笑える。実はこれ、私は意外と面白い歴史的背景を持っていると考える。昔、大学院時代に私の師匠の一人が、「インターネットの世界では『PC屋と電話屋』が対立している」と言ったことがある。PC屋とは、例えばハッカーに代表されるように、インターネット文化を作り上げてきたようなプログラマー集団や企業であり、一方の電話屋というのは、日本で言えば、NTTやそのグループ、米国で言えば、at&t及びベビーベルといったところだろう。「電話屋」にしてみれば、いままで異業種だったはずの「PC屋」は、インターネットの登場で急にライバルになってしまった。SkypeなどVoIPサービスの登場はインターネットの歴史において、比較的最近の出来事だが、例えば、その昔、国際電話をすれば、数千円から一万円オーバー稼いでいた電話屋が、インターネットの出現で(もっと具体的にはSMTPの出現により)メールをすれば無料で済む、という話になってしまった。無論慌てたのは、電話屋の方であった。この時よく聞いた議論では、技術的に電話は発信者と受話者を直接「線」で繋いでいるから「ギャランティー型」の通信であって、そこに価値があると。だから、電話はすごい、という論調である。一方のインターネット側はというと、パケット通信であるため、「ベストエフォート型」の通信なので、その信頼性に問題があると。しかし、どうであろう。結果として、今や冒頭で述べたように、地デジのIP再送信の事実でも見られる通り、ハイクオリティの動画が確実に受信者に届けられる時代になったのである。そうなってくると、ユーザーからすれば、固定電話とVoIPの技術的違いなんてどうでも良くなる。ギリシャからSkypeで長電話しようと、そのクオリティはまったく固定電話と一緒である。いわんや、同時にチャットや、ウェブカメラを付ければ動画も送れる。面白いことに、日本の役人は、なんとかこのVoIPを既存の固定電話や携帯電話のサービスと切り離したいらしく、「IP電話」というサービスはISPが行うサービスであって、050-の番号が付与されることで、他と区別されるようである。紛らわしくも、「インターネット電話」なるサービスも別に区別されていて、こっちは、固定電話と同じく、03-や06-の番号の付与が、「暗」に認められているようである。ちなみに、米国の場合、固定電話、携帯電話、VoIPで、番号による区別は無い。
 このように、PC屋と電話屋は、いずれも、日本的に言えば「通信」の枠組みにいながら、いわば「政治的」に区別されてきた経緯がある。私が見るに、どうも、既得権益者たちは、インターネットの勢いが怖いように見受けられる。
 さてiPhone版Skypeだが、そんなSkypeがiPhoneに乗ってしまった。つまり、Wi-Fi下にある場合、iPhoneから無料で電話をかけることができるわけである。まぁ、ギリギリ面子を保った部分は、Wi-Fi下でなければ、Skypeで無料電話をかけようとも、キャリア(iPhone側)は、パケット料で商売ができる、ところであろうか。
 そんなわけで、相変わらず、読者には、回りくどくて申し訳ないが、「通信と放送の融合」の時代には、「通信と通信の融合」も起こってきているという現実があることを、このニュースにより実感させられた次第である。もう少し本質的なことをいうと、新しいイノベーションと既得権とが、にらみ合っていた時代が、そろそろ過ぎ去ろうとしており、文字通り「融合」しようと、歩調をあわせてきている時代が到来したのかなぁ、とも思う。しかし、一方で、既得権は強く、自分の負けを認めない。まぁ、既得権益者とはそういうものである。しかし、遅かれ早かれ、「融合」せざるを得ない時代が来るであろう。なぜなら、主役は、技術そのものや、既得権益者そのものではなく、それらのサービスを使う我々市民、一人一人なのだから。

代表主任研究員(T) 専門:情報産業論・メディア技術論

2009年4月8日水曜日

マスメディア制作の「映画」だというのに・・・

最近、テレビ局や新聞社などのマスメディアが映画制作にかかわることが多くなり、こうした作品が非常に興行収入もよいという。テレビ草創期には映画会社がいわゆる「五社協定」(一時期六社)を結び、客を奪われまいと、自社専属の映画俳優をテレビに出演させないことがあったが、その時代からすると、隔世の感がある。
だが、そうしたマスメディア制作の映画を観ていて違和感を覚えることがある。各々よくできている映画なのだが、どうしても腑に落ちないので、いくつか指摘しておきたい。ただし、ストーリーを言ってしまうと、観ていない人の楽しみを奪うので、無粋なことをしないように問題提起していきたい。
一本目は、「容疑者Xの献身」(西谷弘監督作品、2008年、フジテレビジョン、アミューズ、S・D・P、FNS27社:http://yougisha-x.com/ )では、川沿いの公園で死体が発見される。一瞬のことなので見間違いかもしれないが、この時、上空を飛ぶ取材用と思しきヘリコプターの映像を見て「おやっ」と思った。それというのも、4機ほどのヘリコプター同士が向かい合ってホバリングしていたのである。これは通常はありえないし、実写とも思えない(おそらくCGだろうが・・)。なぜかというと、回転翼機(つまりヘリコプター)で同一対象を航空取材する場合には「右旋回」が原則だからだ。向かい合ったヘリコプターでは空中衝突の恐れがあり、これを回避するルールが設けられている。具体的には、取材ヘリコプターの騒音問題と取材機の事故を契機に作られた日本新聞協会編集委員会の「航空取材に関する方針」(1965年6月9日制定)、「航空取材要領」(1965年7月14日制定、1985年1月10日一部修正、1997年3月13日改定)に基づくのだが、多少高度が異なろうと、取材対象に向かって同一方向で旋回していなければならない。つまり、これを知っていればこういう描写にはならなかったはずである。
次の二本は同じ問題意識として取り上げたい。
一つは「誰も守ってくれない」(君塚良一監督作品、2009年、フジテレビジョン、日本映画衛星放送、東宝:http://www.dare-mamo.jp )は、突然容疑者の家族になってしまった女子中学生が主人公の映画だ。
もう一つ、「ジェネラル・ルージュの凱旋」(中村義洋監督作品、映画「ジェネラル・ルージュの凱旋」製作委員会、http://general-rouge.jp/)は、「チームバチスタの栄光」のシリーズ二本目だが、殺人と収賄容疑の事件を描いており、今の救急医療が置かれている状況を見事に描きながら良質のサスペンスになっている。
両作品とも非常にメッセージ性がある良い作品なのだが、やはり腑に落ちない。なぜかというと、作品中で事件・事故を取材する取材陣が両方とも「迷惑な存在」「やっかいもの」として描かれているからだ。「誰も」はフジテレビが、そして「ジェネラル」は製作委員会方式を取っているので、一社が直接製作担当をしているわけではないが、TBS、毎日放送、中部日本放送、RKB毎日放送、北海道放送、朝日新聞社が携わっている。
つまり、何が言いたいかというと、報道機関を自負するマスメディア企業が並んでいるにもかかわらず、両作品とも自分たちの仲間の仕事に対するリスペクトが見られないのである。
たしかに、取材陣が取材対象者を囲むことによって問題となることがある。私の知っている限りだが、1988年3月に高知学芸高校の修学旅行団が中国・上海で列車事故に遭い、生徒ら28人が死亡した。この時、高知空港(現・高知龍馬空港)で、悲嘆に暮れる遺族たちにマイクやカメラを差し向けて取り囲んだ取材陣と遺族の間で大きなトラブルになったことがあった(この後、青森放送は事件・事故の遺族取材を自粛する自らのルールを作ることで先鞭をつけたが、このように明確化したのは他には見られなかった)。
その後、いわゆる「メディア規制三法」(個人情報保護法、人権擁護法案、青少年有害社会環境対策基本法案)が法制化されようとしていたほぼ同時期に、いわゆる「メディア・スクラム(集団的過熱取材)」問題が議論された。日本新聞協会編集委員会が下部機関を設け、神戸連続小学生殺害事件(1997年)、和歌山カレー事件(1998年)、大阪池田小学校事件(2001年)などの事例を基に議論し、「集団的過熱取材に関する日本新聞協会編集委員会の見解」(2001年12月6日)をまとめ、日本民間放送連盟も「集団的過熱取材問題への対応について」(2001年12月20日)をまとめた。
これにより、メディア・スクラム(集団的過熱取材)が起きた場合には、都道府県ごとにある報道責任者連絡会議の幹事社を窓口に、新聞協会・民放連加盟社間で取材の調整を図ることになる。奇しくもこの仕組みができた直後に北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の「拉致被害者」らが帰国、この方法により取材が調整された。ただし、2006年に秋田県で起きた連続児童殺害事件では、この仕組みによる調整はなされたものの、実際に多数の取材陣が小さな集落に集中し、運用上の課題は多く残っている。一方で、取材・報道の自由、「知る権利」を考える時に、こうした一斉自粛が良いのかどうかはもう少し議論しなければならないであろう。また、雑誌等が蚊帳の外に置かれたまま作られた枠組みが良いのかどうかは別途議論しなければならない。
このように取材現場で混乱が起きた際に、まったくの無策ということではないのだが、二本の映画では、群がる取材陣がまさに「迷惑な存在」「やっかいもの」として描かれているのである。
事件や事故を取材・報道をするということは、社会全体でこうした問題を解決するための判断材料(情報)を集め、伝える活動である。その努力に対するリスペクトが見られないのが残念だし、取材・報道の理屈が軽視されているとしか思えないのである(一方で、蛸壺的な理屈になっているからそういう競争になってしまい、問題を引き起こしてしまうのかもしれないが・・・)。報道機関である会社の映画制作部門は、社内でどのように取材・報道部門と連携して考証していたのであろうか。社内での部門同士の軋轢があってあのような描き方になるのか、それとも自虐的にこういう現象もあるのだということを主張して描いたのか、いささか腑に落ちない。
(もっとも、「誰も」では、マスメディアよりも、ネットユーザーをもっと「迷惑な存在」「やっかいもの」として描いていたが・・・)
このように、少しの連携があれば、もう少し良い表現が期待できたかもしれないだけに残念である。ただ、映画自体は非常によくできていると思うので、三作品とも観ることをお薦めする(「誰も」は事前に放送されたドラマと併せて観た方がよりストーリーが理解しやすい)。

主任研究員(Y) 専門:メディア倫理法制

2009年4月6日月曜日

「ミサイル」「ロケット」「飛翔体」

 北朝鮮の「ミサイル」問題で、日本のメディアは多くの問題を浮き彫りにしたのではないだろうか。私自身の専門は情報産業であるが、学部・大学院とジャーナリズム論にも接していた「癖」が抜けきれなく、今回はこのことを取り上げてみたいと思う。
 メディアがこの問題を取り上げ始めた当初、どの局の報道を見ていても、北朝鮮が発射しようとしている「物体」を「ミサイル」と呼んでいた。これが私の感覚として、どうしても腑に落ちなかったのである。「NHKは違う表現をしてるだろう」と思い、チャンネルをまわしてみても、どうしたことか、民放各局の報道番組とまるっきり同じで「ミサイル」と呼んでいる。余計腑に落ちない。
 つまり北朝鮮は、形式上、この物体の先端には人工衛星をひっつけている、と主張している。同時に国際機関にも、そのように通達をしていた。一方で日本の報道機関の取材は、現地へ行って、先っぽに、ひっついているものが人工衛星か、あるいは、爆弾の類のものか、などは知る由もなく、北朝鮮が打ち上げる、ということだけで、どの局も「ミサイル」と決め付けて呼んでいたのである。
 少なくとも事実としては、「北朝鮮は人工衛星の打ち上げ」と言っている、「国際機関にもそのように通達している」のであって、私は、この時点で、報道機関は絶対的に「ロケット」と表現すべきだと思うのである。もし、本当に(これは最後までわからないのだが)先っちょに、ひっついていたのが「人工衛星」だったら、果たして、当初「ミサイル」と呼んでいたことを「陳謝」するメディアはいるのだろうか。甚だ疑問である。
 さて、いよいよ発射の時期が近づいてくると、いくつかの報道番組が「ロケット」という言葉を使いはじめた。何気なしに。さて、それでは、いままで「ミサイル」と表現していたことに対してエクスキューズをしたのだろうか。私の知る限り、それはない。ある番組が「ロケット」と言い出したと同時に、チャンネルを変えてみると、口裏を合わせたように「ロケット」と表現を改めている番組が出始めた。「ミサイル」と「ロケット」では、視聴者に与える印象は、まるっきる異なる。
 さらに、私が唖然としたのが、発射されるであろうとされていた4/4の報道で「飛翔体」という表現をしだしたことである。そもそも、「飛翔体」って何?UFOと一緒?って話である。その呼び名もおかしいが、本質的な問題は、「政府発表」がこの「飛翔体」という言葉を使ったことを受け、全局(調べたわけではないが、どのチャンネルを回してもそうだった)が、今まで「ミサイル」や「ロケット」と表現していたものを「飛翔体」と統一しはじめたのである。
 まったく、一体なんなんだ。日本のジャーナリズムは「発表ジャーナリズム」だといわれても、これでは仕方ない。もし私が発射側で、発射するものが人工衛星であったなら、日本の「ミサイル」報道を、名誉棄損で訴えるところだ。この手の物体の表現は極めて重要である。メディアの影響力が、その表現力を通じて、視聴者に与える影響は絶大である。それぞれの番組が、しっかりとした裏づけをもって、あるいは、一定の哲学をもって、こうした表現を使うべきである。少なくとも、当初、まだ、先端に引っ付いているものが、何だかわからないが、北朝鮮が人工衛星といっているうちに、「ミサイル」と報道すべきではなかった。「ロケット」は無難かもしれないが、「飛翔体」という表現が、官邸からではなく、問題初期の時点のジャーナリズム側から、出てきて欲しかった。
 なにも、北朝鮮を擁護する気など全く無い。実態はわからないが、他国からの援助で、「飛翔体」に莫大な費用をかけるなら、しっかりと自国民の救済を考えるべきであろう。従って、そういった国が打ち上げる「飛翔体」を、当初から「ミサイル」と表現されても無理はない。が、それは一般論。ジャーナリズムは、それではいけない。ジャーナリズムには、しっかりと、当初から「飛翔体」と表現してほしかった。

代表主任研究員(T) 専門:情報産業論・メディア技術論

2009年4月5日日曜日

「間違いだらけのパートナー選び」!?

30年続いた徳大寺有恒さんの著書「間違いだらけの車選び」シリーズ(草思社)をもじって、このタイトルをつけたが、この原稿では、筆者(40歳♂独身)の結婚相手紹介サイトの体験を基に、現代の結婚事情なるものを書いてみたいと思う。
現在は、晩婚化、少子高齢化の社会だが、厚生労働省の人口動態統計特殊報告の「平成18年度『婚姻に関する統計』」のうち、平均婚姻年齢をみると、1975年には平均初婚年齢が夫27.8歳、妻25.2歳であったのに対し、それから30年を経た2005年にはそれぞれ31.7歳、29.4歳となっている。また、合計特殊出生率も1.75から1.26に下がっている。1985年の男女雇用機会均等法施行を契機に、憲法が求めている法の下の平等が働く女性にもようやく保障されるようになり、実態での差別待遇はあるものの、それ以後、女性の社会進出を促すきっかけを作った。このことや女性の権利獲得運動の結果、晩婚化や少子化の一つのきっかけになったという指摘も良く見受けられるが、当然ながらそれだけとは言えない。経済構造を考える時に、社会を構成する人口が減少することは、ただちに市場規模の縮小を意味する。
だからといって「産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭でがんばってもらうしかない」などと発言して顰蹙を買った柳沢伯夫厚生労働大臣(2007年1月当時)や、全日本私立幼稚園連合会主催の公開討論会(2003年)で「集団レイプする人はまだ元気があっていい、正常に近いんじゃないか」と発言した太田誠一衆議院議員(彼は自由民主党の人権問題調査会長を務めたが・・・)、「子どもを作らぬ女性を税金で見るのは変」(同年)とした森喜朗元首相のような、噴飯物のカン違い発言は困るのである。
女性の人権が確保されるということは、ひとり女性のためだけではない。女性の社会的地位が向上することによって、男性の人権の向上ということにも繋がるのである。先に述べた日本国憲法第24条では、両性の本質的な平等に基づく婚姻を国が国民に対して保障しているのであって、ここでは形式的な平等を求めているのではない。これを作り出したベアテ・シロタ・ゴードン氏は、戦前の日本女性の置かれたひどい状況をつぶさに見て、戦後GHQ民生局のスタッフとして憲法制定にかかわった際にこの規定を生み出し、戦後の女性の地位向上が図られた。しかし、現在の日本では、憲法改正を求める政治家(もちろん女性も含まれている)たちが、子ども達の福祉や少子高齢社会を改善するために、女性に法的・社会的な平等よりも、母親役をより強く求める動きがあり、この第24条の規定を後退させる動きすら出ている。
少し前段が長くなったが、晩婚化、少子高齢社会というものは、むしろ、結婚という制度をめぐる価値観の多様化ということが挙げられよう。
イギリスの社会学者アンソニー・ギデンズ氏は、単に性欲に基づくパートナー獲得競争から決別し、「ロマンティック・ラブ」が誕生したことを人類の特徴の一つとして捕らえている。また彼は、歴史的に男性による女性支配を強いてきた家族ではなく、両性の平等による「感情の民主制」をも唱えており、私もこの点に非常に強く賛同する(男性が女性を支配してきた歴史的経緯があるにせよ、各家庭での実質的な支配権がどちらにあるかは別だが・・・)。
ギデンズ氏の言う様に、恋愛感情を持つことによって、さまざまな悲喜劇が繰り広げられてきたし、それにまつわる小説や映画、ドラマなども数多く誕生してきた。ただ一度の人生に「運命の人」とのめぐり合いを求めるのは、人のサガであろうが、次第に「条件の人」探しになっているように思えてならない。
いわゆる伝統的な見合いでは、世話焼きな人が仲人になったり、友達が紹介したり、適齢期にある両性を引き合わせたものだが、こうした風習が次第に廃れるようになった。恋愛結婚が相対的に増えたこともあるが、地縁や血縁による人間関係が分断された現在の社会では、めぐり合いのタイミングを逸することも多く考えられる。そこを補うものとして、いわゆる「出会い系」ではない結婚情報紹介事業がインターネットを中心に盛んになってきており、経済産業省の調べでは結婚相談行・結婚情報サービスの市場規模が500~600億円、3700~3900程度の事業者が営業しているという。
かつてであれば、そうした結婚紹介所に出向いて相談を受けたり、パーティーなどに参加したりするのが前提であっただろうが、インターネットが活用されるようになり、きわめて簡単に登録でき、心理的、経済的負担が少なくそうしたことが期待できるサービスになってきている。
だが、そう簡単にいくのであろうか。むしろ、バーチャルの場で、リアルで重要な人生選択をするのは難しいように思える。筆者があまりよい体験ができていないというやっかみ半分で言っているのではない。非常にセグメント化された条件はマッチングしにくいのである。
こうした結婚情報紹介サイトでは、自分のプロフィールに加えて求める相手の条件を設定し、それにマッチングする相手を自動的に紹介して行くのだが、この条件設定が冒頭に挙げた「車選び」に非常に似通っている。「身長=全長」「体型=全幅・車重」「年収=販売価格」・・・など、これに加えて「顔写真=設計・デザイン」というような具合である。つまり、カタログを見て、自分の購入できる予算と求める条件に応じて装備オプションを考えて車選びをしているのと同様なのである。まるで人間をカタログで選んでいるようなものだ。
条件が合う人が現れたとしても、非常にピンポイントで狭く、セグメント化された条件なので、その後の条件の変化(失業や転職、転勤等)が訪れた場合にその人がパートナーとしてふさわしいと考えられるのか、果たして疑問である。
また、写真を掲載すればアクセス数は非常に高まるが、見た目だけで判断できるのであろうか。好みはあるだろうが、見た目と実際の人物のよしあしは別物である。井上章一氏は著書「美人論」(朝日新聞社)の中で、「美人」の尺度は相対的なものであるとしている。身分制度の厳しかった江戸期の上層階級では、見た目の美人であることよりも家柄同士の釣り合いが求められ、むしろ社交性が求められるようになった明治期以後、美人であることが結婚の条件として重要視されたという。
技術の発達によって写真や条件によってパートナー選びの情報が簡単に入手できるようにはなり、痒いところに手が届くようにはなったが、セグメント化、ピンポイント化された条件の中で果たして「運命の人」は訪れるのであろうか。お互いにずるい条件を出し続けることによって、パートナー選びは長期化する。あまり良い表現では無いかもしれないが、次に良いネタが出てくることを期待して待ち続ける回転寿司のようなものであり、よりよい条件探しをすればするほど長びき、その間に喜ぶのは人間関係を金銭化できる業者だけなのかもしれない。
主任研究員(Y) 専門:メディア倫理法制

リアルとバーチャルの狭間で(ロケ地めぐりの悲喜こもごも)

 私も観光旅行は好きだが、そもそも「観光」という行動は、観光をほとんどしない知り合いの観光学者(非常にパラドックスだが)に言わせると、回帰的な円周運動上にある「確認行為」なのだという。つまり、観光旅行である限り、必然的に出発地点に戻らなければならないが、それだけでなく、観光地に行く時、事前にその場所の情報をまるで知らないということはないのであって、メディアや他の人の体験などから何らかの情報を間接的に知った上でその場所に行くことになる。だから、よく言われることだが、現地に行って「写真と同じ」「まるで写真のような風景」という言葉が発せられるのである。
 その観光旅行自体は、もともと宗教的な礼拝行動や物見遊山などが原点であったが、最近ではいろいろな観光旅行が登場している。その中に「ロケ地めぐり」というものがある。
 つまり、映画やドラマの舞台になった場所を踏破するというもので、バーチャルなドラマの世界の中にリアルな自分を投影することにより、疑似体験をするというものである。これを見越して観光客を増やして地域活性化を図るために撮影場所としてドラマや映画制作者らを誘致する動きもあり、撮影の便宜を図るために、ロケーションボックスやフィルムコミッションという組織が全国各地に結成されている。特定非営利活動法人ジャパン・フィルムコミッションによると、2009年3月16日現在で全国101団体が加盟している。
また、「全国ロケ地ガイド」(http://loca.ash.jp/)というサイトもあり、ドラマや映画の撮影地が紹介されている。
私も、韓国語の勉強を兼ねて韓国ドラマを見ているうちに、しだいにいろいろなことに興味が出て、実際にドラマの撮影地に行ってみたいという気持ちを持つようになった。もちろん、そうした要望に応えるべくロケ地めぐりツアーなるものもあり、確実に安心していけるのであるが、そうではなく、自分で探し出して行きたいのである(もっとも他人のブログや体験記を参考にはするが・・)。ただ、それなりの苦労もあったので、ロケ地めぐり初心者の体験記をまじえて感じたことを紹介したい。
1本目は、MBCのドラマ「キツネちゃん、何しているの?」(原題・여우야 뭐하니、全16話、2006年制作)で、このドラマは、33歳独身のアダルト雑誌記者のコ・ビョンヒ(コ・ヒョンジョン)と、24歳のパク・チョルス(チョン・ジョンミョン)の年上女性と年下男性のカップルをめぐるラブコメディだ。
 この右の写真(いずれも筆者撮影)にある赤い灯台がドラマの一つの重要アイテムになっており、ドラマの中でもソウル郊外の現実の地名である烏耳島(오이도、オイド)として紹介されている。
実際にこの灯台は、黄海に面した京畿道の始興市(시흥시、シフン市)にあり、ソウル市中心部から地下鉄4号線で終点の烏耳島駅までおよそ1時間半かかり、さらにそこから約6km先のこの場所までバスで20分ほど移動しなければならない。
さて、問題は次の写真である。
ドラマの途中で、ビョンヒとチョルスがバイクに乗って烏耳島に再び訪れ、この写真のように灯台が再登場して、ビョンヒの心が揺れ動くシーンが描かれているのであるが、実際にはバイクに乗っていてはこのようには見えないのだ。
この写真は、烏耳島の近辺にある始華湖(시화호、シファホ)の締め切り堤防上にある道路で、沖合約15kmにある大阜島(대부도、テブド)から戻るバスの中から見たアングルである。つまり、バイクの高さでは反対車線の仕切りでさえぎられてしまってこのようには見えないのである。これも現実と虚構のギャップである。
二本目は、これもまたMBCのドラマ「ありがとうございます」(原題・고맙습니다、全16話、2007年)で、認知症の祖父と輸血事故でHIVに感染した娘を持つ小さな島のシングルマザーのイ・ヨンシン(コン・ヒョジン)と、優秀だが型破りな外科医ミン・ギソ(チャン・ヒョク)の話である。テーマは非常に重たいが、決して暗いわけではなく、毎回涙なくしては見られない非常に美しいストーリーなのである。
舞台となったプルン島(푸른도、青い島)は架空の島だが、実際には全羅南道の新安郡の曾島(증도、チュンド)である。ここには、光州広域市のバスターミナルからバスで智島(지도、チド)の船着場まで約3時間、そこから船を乗り継いで15分かかる。イ・ヨンシンが祖父と娘の三人で暮らしていた家(写真)には、曾島にあったレンタル自転車(無料なのは良いが、空気がほとんどなかったママチャリ)を使って片道40分かけて海上に作られた道を伝って、隣の華島(화도、ファド)に渡ってようやくたどり着いた。
ただ、ドラマの撮影当時と筆者が見た絵は異なる。何が違うかというと赤い屋根の母屋の前の広い庭は現実にはなかったのである。ロケ地を訪れる多くの車のために駐車場として広げられている。
何のためにドラマ地めぐりをしているかというと、笑われると思うが、虚構であるドラマの中に自分を投影して、再体験したいのである。ただ、灯台も赤い屋根の家もすべて虚構だが現実には存在している。一方で、現実にありながらそれらはドラマで意味づけられた虚構なのである。その現実を見て喜び半分、ガッカリ半分なのである。つまり、「ドラマで見たのと同じ」なのだが、どこかがドラマとまるで違うのである。まあ、そういうことを感じながら行くのも楽しみなのだが・・・・。
ただ、最後に一言。虚構でなく、まさに現実に襲われたのだが、この家に行く途中にある小学校(ここも重要な舞台なのだが)から、黒い大型のイヌが勢いよく飛び出してきて追っかけてきた。何とか振り切ったものの、一本道なので同じ道を帰らざるを得ず、すこし警戒しながら近づいていったら、今度は黒に加えて同じ大きさの白のイヌが勢いよく走ってきて、「まさか」と思ったら、筆者が標的!空気の抜けたママチャリでしかも向かい風と砂利道というハンデを追いながら、必死になって逃げても、逃げても追いかけられ、ようやく500~600mぐらい走ってあきらめてくれたが、ロケ地めぐりは、気力・体力・根気に勇気が必要なことを実感させられた。

主任研究員(Y) 専門:メディア倫理法制

2009年4月2日木曜日

「情報通信メディア環境研究所(IICME)」設立にあたって

「情報」と「通信」と「メディア」は、特に現代において、切っても切れない関係にあると言って良いと思います。そもそも「情報」は、それ自体に価値を持っていますが、伝達されなければ、その価値も小さくなってしまいます。これまでの歴史の中で、この情報をいかに伝達し、あるいは、いかに密閉するかによって、人は「情報」そのものの持つ価値を最大化してきました。一般的に、特に、インターネットとその文化が普及する現代においては、「情報」は伝達され、伝達された先で共有されることで、その価値が何倍にもなると言って良いでしょう。この「情報」を伝達、つまり、運ぶ役割を果たしているのが「通信」です。近年、インターネットと携帯電話の普及によって、いわゆるIT革命と称される事態が起こりました。これは「情報」そのものというよりも、その「通信」手段の飛躍的なイノベーションが、「革命」までをも引き起こしたわけです。従って、この「通信」とその上に載る「情報」は、そもそも切っても切れない関係にあるのは自明です。

 それでは、「メディア」はどうでしょうか。ご存知の通りメディアはメディウムの複数形で日本語においては「媒体」と訳されることが多いのですが、この「媒体」という概念は歴史的にちょっと扱いずらい代物でした。ハーバート・マーシャル・マクルーハンが、その大著である『メディア論』で述べるような「メディア」はアカデミズムの中で確固たる地位を獲得していますが、実社会における「メディア」とは、ちょっと厄介です。

 つまり、メディアは媒体な訳で、何者かによって媒介されてくることが前提になります。そう考えるとウィルスの様にも考えられます。媒介された媒体とは、言い換えれば、「通信」に載った「情報」と非常に近いと思えます。従って、「情報」、「通信」、「メディア」という言葉を並べたとき、前の2つに関しては、極めて親和性が高いのですが、最後の「メディア」について言えば、前者の2つを言い換えたに過ぎないかもしれません。

 しかしながら、一般論として「メディア」というと、日本的な「マスコミ産業」を想像される場合もあるでしょうし、紙にプリントされた写真のような「何か」を想像されることもあると思います。どちらかと言えば、アカデミックな「メディア」を、そのまま理論的に使うよりも、現代においては、「メディア産業」一般として捉えた方が自然に感じます。

 さて、「産業」に触れたついでですが、「情報」、「通信」、「メディア」には、必ずそのバックグラウンドに「産業」が見え隠れします。試しに、それぞれの単語の後に産業を付けてみましょう。「情報産業」、「通信産業」、「メディア産業」。すべて、成り立っている実態のある産業です。産業分類的に分けることが可能なのであれば、これらは、似て非なるもの、つまり、別々に扱うことも可能であるということです。しかしながら、この3つは、先にも述べたとおり、それぞれの距離が遠い存在ではありません。「情報」と「通信」が切っても切れないように、あるいは、「情報+通信」に「メディア」が似ているように、非常に近い存在なのです。

 さて、そうなってくると、この3つは、学術的にも、実務者的にも、色々なところから「斬る」ことが可能になってきます。可能になるというよりは、色々なところから斬ってみると面白い題材であることがわかるのです。

 情報通信メディア環境研究所では、さまざまな分野の若手の研究者を中心に、実務家を交えながら、実名・匿名で、この3つを、それぞれの視点で忌憚無く斬ってもらうためのインフラとしてブログを立ち上げました。研究者にしても、実務家にしても、情報、通信、メディアに関わっていることが前提ではありません。様々な学際領域から、この3つを自由に斬ってもらいたいというのが、主宰者側の意図です。

 従って、敷居の高い「レフリー論文」や「研究ノート」といった方法をとらず、思っていることを、例えそれが未完成であっても、ブログに「書いてみる」ことで、すばらしい「斬り口」が見つかるのではないかと期待するのです。

 実名の主任研究員の方をはじめ、匿名の研究員、客員研究員の方々に感謝をしつつ、当研究所設立の挨拶と代えさせていただきます。

情報通信メディア環境研究所
主宰 兼 代表主任研究員(T) 専門:情報産業論・メディア技術論