2011年2月28日月曜日

エピソード:ニコロとの思い出(2)

前回からの続き***


 僕は早速、ローマ行きのJALを予約した。少々の好奇心と、多大な懐疑心が入り混じりながら、本当にこれで良いのか何度も自問自答したが、どうしても僕にはニコロが悪い奴には思えなかった。ほどなくして、ニコロ本人から僕にメールがあった。渋谷の交流会でちょっとした会話をして以来、はじめてのメールであった。

「参加ありがとう。心から嬉しい。エアーも宿も何も心配することは無い。ローマで会おう。 ニコロ」

 僕は慌てて、自分の予約を取り消し、翌月、ニコロのアテンドによって成田からローマへ飛び立った。イタリアへはそれまでに何度か行ったことがあったが、そのほとんどは、僕の好きな東欧から電車での入国だったから、直行便に乗ったのは、これがはじめてだった。驚いたことに、ニコロの予約したシートは、ビジネスクラスだった。僕は何かの間違えかと疑ったが、確かにビジネスクラスだった。一体、ニコロとは、何者なのだろう。そして、最も重要な問題として、一体彼は僕に何を期待しているのだろうか。その答えは、そう長く待たずに明らかになるのであった。


 ローマ空港に降り立つと、改装中の国際線ターミナルは閑散としていた。預けた荷物を受け取って、ゲートの外に出ると、ニコロが満面の笑みで出迎えてくれた。相変わらずのイタリア人っぽい髭面に、ぴしっとプレスされたダークスーツが良く似合っている。力強い握手の後、彼は僕のトランクを転がして駐車場に案内してくれた。その間、ビジネスクラスや宿のアテンドの礼を言った。ニコロは、ウインクをして、気にすることは無い。日本からの大事なお客だと伝えただけだと、言った。

「さて、これから会場まで、3時間ほどかかる。遠慮しないで、ゆっくり寝てくれ」

 ロッソのアルファロメオのトランクに僕の荷物を入れながらそういった。僕が助手席に乗り込むや否や、荒々しくミッションを駆使して、車を走らせた。空港を出てハイウエーに乗ると、辺りはヨーロッパならではの平原だった。僕にとっては見慣れた光景だったが、いつものバックパックの旅行と違って、今回は少し緊張していた。なにせ、この後に何が待っているのかまったくわからないのだ。初夏の少々強い日差しがフロントウィンドーから差込み、その暖かさもあってか、いつの間にか僕は寝入っていた。次に目を覚ますと、ニコロはちょっとした山岳地帯を右へ左へとステアリングをきっていた。

「少しは寝られたか?もう少しだ。」

と、ニコロは言った。

 ほどなくすると、新緑の木々に囲まれた車一台がやっと通れる道に入り、遠くに鉄格子でできたゲートらしきものが見えた。ニコロはサンバイザーに挟んであったリモコンを使って、このゲートをくぐり、そしてさらに、車を走らせた。次第に、手入れの行き届いた木々が見えてきて、大きな芝生の広間に出た。

「さっ、着いたぞ。」

 僕は、目を疑った。
 芝生の広場の先には、大きな古城が断崖絶壁にせりたっていたのだ。

「ここは?」

 やっとの思いで、そう聞くと、

「パーティ会場だよ。ただし、渋谷のパーティとは訳が違うけどね」

 そういって、ニコロはまたウインクしてみせた。
 車寄せに近付くと、ベルボーイが2名近寄ってきた。ニコロとはまったく違った綺麗な英語で、

「ようこそ、お待ちしておりました」

 と言って、僕を車から降ろし、続けて静かに荷物も下ろした。ニコロは用事があるから、後は彼らについていけ、とぶっきら棒に僕に言って、そそくさとどこかへ行ってしまった。僕はそのベルボーイについて、城の中に入った。

 中に入ると高い天井には、光取りの窓と、すばらしい天井絵があった。外の日差しは若干強かったが、中はひんやりとしていた。僕はベルボーイが案内するがままに部屋へ通された。

「ここが、あなたの部屋です。何かわからないことがあれば、いつでもお呼びください」

 そういって、彼らはすぐに消えた。

 ベッドの上に、書置きがあり

「パーティは、19時から、それまでゆっくりお休みください」

 とあった。時計を見るとまだ、16時だった。僕は窓を開けて、ちょっとしたホテルのスイートルームほどある部屋のベッドに横になると、いつの間にか眠っていた。

 次に目が覚めたのは、部屋の電話が鳴った時だ。電話の相手は、相変わらず、イタリア訛りが酷い英語のニコロの大声だった。

「良く、寝られたか?スーツに着替えて、ホールに下りて来い」

 と言って、ガシャンと電話を切った。僕は、メールで指示されていた通り正装の支度をしてあったので、軽くシャワーを浴びて、それらを身につけた。窓から外を見ると、車寄せには、ぞくぞくと正装の人々が、車で押し寄せていた。

 着替えを終えた僕は、早速、部屋を出て、ホールらしきところを目指して階段を下りた。下の方では、ざわざわと沢山の人が集まっている雰囲気がする。さて、何のパーティだろうか。胸が高鳴るのを感じた。

 ホールには、ざっと、200人ほどの人が集まっていた。そして、平行に置かれた長テーブルには、オードブルがすでに用意されており、人々はウェルカムドリンクを飲んでいた。もちろん、僕は知っている人などいるはずもなく、端っこの方で、一人コーラーを注文して、その不思議な光景を見ていた。

 すると、イタリア語のアナウンスの後、壇上にニコロが登場した。会場の人たちは、大きな拍手を贈った。どうやら、彼がこの会の主催者らしい。すべてがイタリア語なので、僕には何のことかわからないのだが、次の瞬間、壇上のスクリーンに映し出されたスライドを見て、ようやくこの会の主旨が理解できた。最初のスライドにはこう書かれていた。

「第20回、デルモンテ城、インキュベーター・ミーティング」


(つづく)



代表主任研究員(T) 専門:情報産業論、メディア技術論

2011年2月27日日曜日

エピソード:ニコロとの思い出

 今年は一足早く、春の訪れを感じます。この時期になると、いつも思い出す出来事があり、他愛もない経験ではあるのですが、なかなか意義深い時間だったので、このブログに数度に渡って書き残そうと思います。なんだ、「情報通信メディア研究所」って大題目と、ぜんぜん関係ないじゃないか、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実は、間接的に関係があって、しかもこの分野の「環境」において、非常に重要な指摘もあったりします。というか、できる限り、それがわかるように書いてみようと思います。それでは。

 ちなみに、この「エピソード」については、6-7年前にとある雑誌に書いたことがあります。念のため、同誌の私の担当に確認したところ、こういう形で再度書くことは何の問題も無い、とのことでした。もし、昔読んだ方がいらっしゃったら、思い出しながら再度お読みください。

***


 1990年代半ば、僕がまだ大学生だったころ、渋谷で開かれた異業種交流会に出席した。僕は起業して2年目くらいのときで、まだまだ事業は順調とは到底いえない状況だったが、なんとかかんとか、インターネットの会社の切り盛りをしていた。この異業種交流会には、インターネットバブルに乗ってひと財産を築いた人から、これから「アメリカン・ドリーム」を夢見て情報交換に来る人、政治家や、ベンチャーキャピタルの連中など、多くの人たちでごった返していた。今の日本から見れば、「ああいう時代もあったか」と思わせるほどの熱狂ぶりだった。

 僕はこういう場があまり好きではなかったし、特にこれといって資金を調達するつもりもなかったので、一通り、知り合いに挨拶を済ませたら、入り口近くのテーブルに腰を下ろし、この熱狂振りを肴に飲み物を飲んでいた。挨拶をしなくてはならない人には顔を見せたし、そろそろおいとましようと思っていた頃、一人の外国人が、「ふーっ」とため息をつきながら、コーラを手に持って僕の隣に座った。そして、ひどいイタリア訛りの英語で

「残念だね」

 と僕に言った。

 僕は、彼がどういう意味でそう言ったか深読みはしなかったが、少しうなずいて、また、会場の熱狂振りを観察しはじめた。彼が「お前は酒を飲まないのか?」と言った。僕も彼と一緒のコーラを手にしていた。僕は生まれながらに酒は飲めない。下戸である。そう伝えたら、彼も同じだといって、肩をすくめた。イタリア人で酒をのめないと肩身が狭い、と彼が言うから、日本でも一緒だね、と僕は答えた。彼の名前は、ニコロと言った。僕よりも少なくても一回りは年上のイタリア人らしい体格の良い男だった。僕は軽く挨拶を済ませると、そこを後にしようと立ち上がった。しかし、彼が、せっかくだからもう少し話そうというので、僕がまだ大学生だとか、自分がやっているビジネスのこととか、大学での研究のこととか、一通り自己紹介をした。彼はその間、何も言わずにずっと座っていた。

 一通り僕が話し終わると、「お前は、ここで自分のビジネスをアピールしないのか」というから、僕は、下を向いて「僕は、こういうところが好きじゃない」と本心を言った。ニコロは、僕の肩をポンと叩いて、僕の名刺を見ながら、また今度連絡する、と言って、最後にイタリア語で何かを言って、笑顔で手を振ってその場を立ち去った。

 あれから何ヶ月経っただろうか、冬の寒さが和らぎ、春の香りを感じられる季節になったころ、一通の手紙が海外から届いた。ぱっと見、差出人に心当たりがなく、ちょっと疑い深く中を開くと、何かのパーティの招待状だった。

 招待状の間に、破ったノートで、

「是非、君を招待したく、待っている。 ニコロ」

 という言葉が添えられていた。

 少し考えて、「あっ!」と、やっと思い出した。

 あの交流会で会ったイタリア人か!
 僕は、オフィスの自分の椅子に深く腰を掛け、少し考えてから、招待状に書いてあった連絡先に、これ以上ないくらい丁寧な英語で「参加」の意思を書き、ニコロによろしく伝えるように付け加えた。


(後半へ続く)


代表主任研究員(T) 専門:情報産業論、メディア技術論