2011年2月27日日曜日

エピソード:ニコロとの思い出

 今年は一足早く、春の訪れを感じます。この時期になると、いつも思い出す出来事があり、他愛もない経験ではあるのですが、なかなか意義深い時間だったので、このブログに数度に渡って書き残そうと思います。なんだ、「情報通信メディア研究所」って大題目と、ぜんぜん関係ないじゃないか、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実は、間接的に関係があって、しかもこの分野の「環境」において、非常に重要な指摘もあったりします。というか、できる限り、それがわかるように書いてみようと思います。それでは。

 ちなみに、この「エピソード」については、6-7年前にとある雑誌に書いたことがあります。念のため、同誌の私の担当に確認したところ、こういう形で再度書くことは何の問題も無い、とのことでした。もし、昔読んだ方がいらっしゃったら、思い出しながら再度お読みください。

***


 1990年代半ば、僕がまだ大学生だったころ、渋谷で開かれた異業種交流会に出席した。僕は起業して2年目くらいのときで、まだまだ事業は順調とは到底いえない状況だったが、なんとかかんとか、インターネットの会社の切り盛りをしていた。この異業種交流会には、インターネットバブルに乗ってひと財産を築いた人から、これから「アメリカン・ドリーム」を夢見て情報交換に来る人、政治家や、ベンチャーキャピタルの連中など、多くの人たちでごった返していた。今の日本から見れば、「ああいう時代もあったか」と思わせるほどの熱狂ぶりだった。

 僕はこういう場があまり好きではなかったし、特にこれといって資金を調達するつもりもなかったので、一通り、知り合いに挨拶を済ませたら、入り口近くのテーブルに腰を下ろし、この熱狂振りを肴に飲み物を飲んでいた。挨拶をしなくてはならない人には顔を見せたし、そろそろおいとましようと思っていた頃、一人の外国人が、「ふーっ」とため息をつきながら、コーラを手に持って僕の隣に座った。そして、ひどいイタリア訛りの英語で

「残念だね」

 と僕に言った。

 僕は、彼がどういう意味でそう言ったか深読みはしなかったが、少しうなずいて、また、会場の熱狂振りを観察しはじめた。彼が「お前は酒を飲まないのか?」と言った。僕も彼と一緒のコーラを手にしていた。僕は生まれながらに酒は飲めない。下戸である。そう伝えたら、彼も同じだといって、肩をすくめた。イタリア人で酒をのめないと肩身が狭い、と彼が言うから、日本でも一緒だね、と僕は答えた。彼の名前は、ニコロと言った。僕よりも少なくても一回りは年上のイタリア人らしい体格の良い男だった。僕は軽く挨拶を済ませると、そこを後にしようと立ち上がった。しかし、彼が、せっかくだからもう少し話そうというので、僕がまだ大学生だとか、自分がやっているビジネスのこととか、大学での研究のこととか、一通り自己紹介をした。彼はその間、何も言わずにずっと座っていた。

 一通り僕が話し終わると、「お前は、ここで自分のビジネスをアピールしないのか」というから、僕は、下を向いて「僕は、こういうところが好きじゃない」と本心を言った。ニコロは、僕の肩をポンと叩いて、僕の名刺を見ながら、また今度連絡する、と言って、最後にイタリア語で何かを言って、笑顔で手を振ってその場を立ち去った。

 あれから何ヶ月経っただろうか、冬の寒さが和らぎ、春の香りを感じられる季節になったころ、一通の手紙が海外から届いた。ぱっと見、差出人に心当たりがなく、ちょっと疑い深く中を開くと、何かのパーティの招待状だった。

 招待状の間に、破ったノートで、

「是非、君を招待したく、待っている。 ニコロ」

 という言葉が添えられていた。

 少し考えて、「あっ!」と、やっと思い出した。

 あの交流会で会ったイタリア人か!
 僕は、オフィスの自分の椅子に深く腰を掛け、少し考えてから、招待状に書いてあった連絡先に、これ以上ないくらい丁寧な英語で「参加」の意思を書き、ニコロによろしく伝えるように付け加えた。


(後半へ続く)


代表主任研究員(T) 専門:情報産業論、メディア技術論

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