2010年1月4日月曜日

故人の個人情報とSNSの今後

あけましておめでとうございます。
結局昨年は12月を飛ばしてしまった。師走というのは、どうも忙しくなる。

ところで、講談社が『COURRiER Japon』という月刊誌を発行している。編集長の古賀さんが、フランス留学時に本家本元の刺激を受けて、日本で創刊した、まったく新しい形の月刊誌である。その11月号に気になる小さな囲み記事があった。曰く、『あんたが死んだら、メールやSNSの個人情報はどうなる?』(p.118)と題された、米国『TIME』誌からの記事である。
 確かに、どうなるのだろうか。
記事によれば、娘を事故で亡くした親御さんが彼女が生前使っていたSNS、フェースブックにログインして、彼女の生前の記録、つまり、書き込みや意見、友達のつながりや写真を、娘の「遺品」と感じたようである。米国のフェースブックは、どうやらユーザーの死後、3ヶ月で内容が自動削除されてしまうようで(どうやって、ユーザーが故人になったのかを知るのかがわからないが・・・)、親御さんは3ヶ月間ですべてのデータをダウンロードしたようである。
 デジタルネイティブ世代が急速に増えている昨今、こういった事例は後を絶たない。記事は裁判になるケースもあるとつづける。つまり論点はこうである。例え親と子の関係であっても、プライバシーは尊重されるべきである、といった類のものである。しかし、私が考える限り、この手の話は、その場しのぎの法的な判断には至るかもしれないが、決して確固とした線引きができないのも事実であろう。
 すなわち、法的な側面だけで話しをするべき問題でないからなのである。別に、この現象はネットに限った特殊なことではなく、子供が「絶対にみちゃダメ」といっていた宝箱を覗く権利が親にあるのかどうか、といった、極めて、日常的で個別的なできごとと変わらないのである。しかし、記事も指摘しているとおり、それと違うのは、間に「業者」が挟まっていることである。SNS業者は今後、ユーザーに故人が増えることに対して、あるいは故人の親族(どこまでを親族とするのかも含めて)からログインアカウント開示の請求があった場合、どうやった振る舞いをするのか、検討をしなくてはならない。つまり、自主的に一定のガイドラインをつくる必要に迫られるのは必至である。すでに、各大手業者はこれを行ないはじめているが、ガイドラインを使ったからといって解決する問題でもない。
 先日私もまったく同じ状況に出会った。ある恩師のSNSから「私は、○○の息子の△△です。実は父が一昨日、闘病の末亡くなりました。私は、このことを、父がこのSNSで繋がっていた皆様に知っていただきたく、メッセージを書いています・・・」というものだ。続いて、お通夜と葬儀の日時も付け加えられていた。私は遠方に出張だったため弔電を送るくらいしかできなかったが、多くの、その恩師の教え子はこのことがトリガーとなって、お通夜や葬儀へ行っている。果たしてこれは、息子が父親のプライバシーを侵したことになるのだろうか。私はまったくそう感じない。
 法的にどうであるかも大事である。そして、自主規制やガイドラインも重要であろう。しかし、「人が人としてどう感じるか」という一番大事な「基準」を逸脱して、判断が簡単な法やガイドラインに任せてはいけない気がするのは私だけであろうか。インターネットの一住人である、SNS業者は、今その考え方が問われている。

代表主任研究員(T) 専門:情報産業論、メディア技術論