2009年4月2日木曜日

「情報通信メディア環境研究所(IICME)」設立にあたって

「情報」と「通信」と「メディア」は、特に現代において、切っても切れない関係にあると言って良いと思います。そもそも「情報」は、それ自体に価値を持っていますが、伝達されなければ、その価値も小さくなってしまいます。これまでの歴史の中で、この情報をいかに伝達し、あるいは、いかに密閉するかによって、人は「情報」そのものの持つ価値を最大化してきました。一般的に、特に、インターネットとその文化が普及する現代においては、「情報」は伝達され、伝達された先で共有されることで、その価値が何倍にもなると言って良いでしょう。この「情報」を伝達、つまり、運ぶ役割を果たしているのが「通信」です。近年、インターネットと携帯電話の普及によって、いわゆるIT革命と称される事態が起こりました。これは「情報」そのものというよりも、その「通信」手段の飛躍的なイノベーションが、「革命」までをも引き起こしたわけです。従って、この「通信」とその上に載る「情報」は、そもそも切っても切れない関係にあるのは自明です。

 それでは、「メディア」はどうでしょうか。ご存知の通りメディアはメディウムの複数形で日本語においては「媒体」と訳されることが多いのですが、この「媒体」という概念は歴史的にちょっと扱いずらい代物でした。ハーバート・マーシャル・マクルーハンが、その大著である『メディア論』で述べるような「メディア」はアカデミズムの中で確固たる地位を獲得していますが、実社会における「メディア」とは、ちょっと厄介です。

 つまり、メディアは媒体な訳で、何者かによって媒介されてくることが前提になります。そう考えるとウィルスの様にも考えられます。媒介された媒体とは、言い換えれば、「通信」に載った「情報」と非常に近いと思えます。従って、「情報」、「通信」、「メディア」という言葉を並べたとき、前の2つに関しては、極めて親和性が高いのですが、最後の「メディア」について言えば、前者の2つを言い換えたに過ぎないかもしれません。

 しかしながら、一般論として「メディア」というと、日本的な「マスコミ産業」を想像される場合もあるでしょうし、紙にプリントされた写真のような「何か」を想像されることもあると思います。どちらかと言えば、アカデミックな「メディア」を、そのまま理論的に使うよりも、現代においては、「メディア産業」一般として捉えた方が自然に感じます。

 さて、「産業」に触れたついでですが、「情報」、「通信」、「メディア」には、必ずそのバックグラウンドに「産業」が見え隠れします。試しに、それぞれの単語の後に産業を付けてみましょう。「情報産業」、「通信産業」、「メディア産業」。すべて、成り立っている実態のある産業です。産業分類的に分けることが可能なのであれば、これらは、似て非なるもの、つまり、別々に扱うことも可能であるということです。しかしながら、この3つは、先にも述べたとおり、それぞれの距離が遠い存在ではありません。「情報」と「通信」が切っても切れないように、あるいは、「情報+通信」に「メディア」が似ているように、非常に近い存在なのです。

 さて、そうなってくると、この3つは、学術的にも、実務者的にも、色々なところから「斬る」ことが可能になってきます。可能になるというよりは、色々なところから斬ってみると面白い題材であることがわかるのです。

 情報通信メディア環境研究所では、さまざまな分野の若手の研究者を中心に、実務家を交えながら、実名・匿名で、この3つを、それぞれの視点で忌憚無く斬ってもらうためのインフラとしてブログを立ち上げました。研究者にしても、実務家にしても、情報、通信、メディアに関わっていることが前提ではありません。様々な学際領域から、この3つを自由に斬ってもらいたいというのが、主宰者側の意図です。

 従って、敷居の高い「レフリー論文」や「研究ノート」といった方法をとらず、思っていることを、例えそれが未完成であっても、ブログに「書いてみる」ことで、すばらしい「斬り口」が見つかるのではないかと期待するのです。

 実名の主任研究員の方をはじめ、匿名の研究員、客員研究員の方々に感謝をしつつ、当研究所設立の挨拶と代えさせていただきます。

情報通信メディア環境研究所
主宰 兼 代表主任研究員(T) 専門:情報産業論・メディア技術論

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