2009年4月6日月曜日

「ミサイル」「ロケット」「飛翔体」

 北朝鮮の「ミサイル」問題で、日本のメディアは多くの問題を浮き彫りにしたのではないだろうか。私自身の専門は情報産業であるが、学部・大学院とジャーナリズム論にも接していた「癖」が抜けきれなく、今回はこのことを取り上げてみたいと思う。
 メディアがこの問題を取り上げ始めた当初、どの局の報道を見ていても、北朝鮮が発射しようとしている「物体」を「ミサイル」と呼んでいた。これが私の感覚として、どうしても腑に落ちなかったのである。「NHKは違う表現をしてるだろう」と思い、チャンネルをまわしてみても、どうしたことか、民放各局の報道番組とまるっきり同じで「ミサイル」と呼んでいる。余計腑に落ちない。
 つまり北朝鮮は、形式上、この物体の先端には人工衛星をひっつけている、と主張している。同時に国際機関にも、そのように通達をしていた。一方で日本の報道機関の取材は、現地へ行って、先っぽに、ひっついているものが人工衛星か、あるいは、爆弾の類のものか、などは知る由もなく、北朝鮮が打ち上げる、ということだけで、どの局も「ミサイル」と決め付けて呼んでいたのである。
 少なくとも事実としては、「北朝鮮は人工衛星の打ち上げ」と言っている、「国際機関にもそのように通達している」のであって、私は、この時点で、報道機関は絶対的に「ロケット」と表現すべきだと思うのである。もし、本当に(これは最後までわからないのだが)先っちょに、ひっついていたのが「人工衛星」だったら、果たして、当初「ミサイル」と呼んでいたことを「陳謝」するメディアはいるのだろうか。甚だ疑問である。
 さて、いよいよ発射の時期が近づいてくると、いくつかの報道番組が「ロケット」という言葉を使いはじめた。何気なしに。さて、それでは、いままで「ミサイル」と表現していたことに対してエクスキューズをしたのだろうか。私の知る限り、それはない。ある番組が「ロケット」と言い出したと同時に、チャンネルを変えてみると、口裏を合わせたように「ロケット」と表現を改めている番組が出始めた。「ミサイル」と「ロケット」では、視聴者に与える印象は、まるっきる異なる。
 さらに、私が唖然としたのが、発射されるであろうとされていた4/4の報道で「飛翔体」という表現をしだしたことである。そもそも、「飛翔体」って何?UFOと一緒?って話である。その呼び名もおかしいが、本質的な問題は、「政府発表」がこの「飛翔体」という言葉を使ったことを受け、全局(調べたわけではないが、どのチャンネルを回してもそうだった)が、今まで「ミサイル」や「ロケット」と表現していたものを「飛翔体」と統一しはじめたのである。
 まったく、一体なんなんだ。日本のジャーナリズムは「発表ジャーナリズム」だといわれても、これでは仕方ない。もし私が発射側で、発射するものが人工衛星であったなら、日本の「ミサイル」報道を、名誉棄損で訴えるところだ。この手の物体の表現は極めて重要である。メディアの影響力が、その表現力を通じて、視聴者に与える影響は絶大である。それぞれの番組が、しっかりとした裏づけをもって、あるいは、一定の哲学をもって、こうした表現を使うべきである。少なくとも、当初、まだ、先端に引っ付いているものが、何だかわからないが、北朝鮮が人工衛星といっているうちに、「ミサイル」と報道すべきではなかった。「ロケット」は無難かもしれないが、「飛翔体」という表現が、官邸からではなく、問題初期の時点のジャーナリズム側から、出てきて欲しかった。
 なにも、北朝鮮を擁護する気など全く無い。実態はわからないが、他国からの援助で、「飛翔体」に莫大な費用をかけるなら、しっかりと自国民の救済を考えるべきであろう。従って、そういった国が打ち上げる「飛翔体」を、当初から「ミサイル」と表現されても無理はない。が、それは一般論。ジャーナリズムは、それではいけない。ジャーナリズムには、しっかりと、当初から「飛翔体」と表現してほしかった。

代表主任研究員(T) 専門:情報産業論・メディア技術論

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