2010年7月19日月曜日

「みなさまのNHK」の表現の自由とは?

 NHKは7月6日、この夏の名古屋場所の中継中止を決めた。1928年のラジオ放送開始、1953年のテレビ放送開始以来、一貫して続いてきた生中継(戦時中は一時録音中継)を初めて全面的に中止したことになる。中継中止に至る経緯について同日、福地茂雄NHK会長が会見で答え、暴力団関係者との付き合いや野球賭博などの日本相撲協会の不祥事に対する改革の遅れや、中継中止を強く求める視聴者の意見などを「総合的かつ慎重に検討して」決定したという。

 NHKに寄せられた視聴者の意見(6月14日~7月5日)約12800件のうち、68%が放送中止を求めるものであったという(朝日新聞7月7日付朝刊)。その後、中止決定が伝えられると、1200件の意見のうち、中継を求めるものが500件で、中継すべきでない200件を上回ったという(東京新聞7月7日付夕刊)。
 これはNHKとしても判断ミスによる受信料支払い拒否を回避したいという見方もあるが、それはともかくとしても、中継中止に至る判断自体は正しいものなのか。

○視聴者の意向を隠れ蓑にしていないか?

 視聴者の民意に沿ったといえば聞こえが良いが、NHKは報道機関であり、表現の自由の行使者である。放送法1条の2は「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること」としているし、同3条の1は「放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」と規定しており、表現の自由を大事にした上で、他からの干渉を受けることについて慎重でなければならない。

 もちろん、視聴者の意向を全く無視しろということではないが、普段から表現の自由、編成の自由を口にしているにもかかわらず、こういうときになぜこれらを極めて簡単に放棄し、後ろ向きに自主規制してしまうのか。単なる再放送の要望等に応えるならば別だが、仮に、視聴者の意向によって放送内容を決めるならば、声の大きいものによって言論・表現の自由がゆがめられている恐れがあるとは言えないのだろうか。

 その一方で、まったく逆に視聴者の意向があるにもかかわらず無視した場合もある。1993年のムスタン問題で川口幹夫会長(当時)が国会で謝罪した際もそうだが、2004年9月9日、元チーフプロデューサーの番組制作費用着服問題などNHK自体の不祥事を問われ、海老沢勝二会長(当時)の参考人招致を、「編集権の問題」として報道しなかったことがある(東京新聞2004年9月7日)。このことについては、同年12月19日に放送された特別番組に対する27,000件の視聴者の意見があった中で、中継をしなかったことに対する批判も相当程度あったとされる(東京新聞2004年12月20日付朝刊)。

 つまり、「みなさまのNHK」として、視聴者の意向を錦の御旗にして、あるいは隠れ蓑にして、放送内容についての面倒な部分を都合よく回避した詭弁と言えるのではないか。

○視聴者の意見の数は正当なのか

 もうひとつの問題は、寄せられた視聴者の意見が放送中止を求めるものが多かったからだというが、科学的根拠に欠ける発言である。統計はしばしば割合だけが大きく扱われることがあるが、本来ならば方法論の検証がなされなければならないし、その結果については考慮すべき誤差を念頭に置かなければならないことである。

 冒頭に示した通り、約7割が放送中止を求めたというが、あくまでも積極的に意見を言ってきた中での範囲にとどまる。また、この中には同一人物による複数回の意見をどのように考慮したのかわからないし、相当数のダブルカウントが考えられる。一方で、数多くのサイレントマジョリティーがどのように考えていたのかはここからは分からない。だからこそ、母数は異なるものの、中継中止が決められるや否や中継反対よりも中継を望む声の方が多くなるのである。

 NHKが視聴者の意向を大事にするというならば、緊急の世論調査をなぜ実施しなかったのか。

 NHKは、放送法9条1の3で「放送及びその受信の進歩発達に必要な調査研究」を業務として行うことになっており、同34条により総務大臣はこれをNHKに対して命ずることができるとしている。これらの規定に基づいて、NHKには放送文化研究所と放送技術研究所が設けられている。前者の放送文化研究所は「豊かな放送文化を創造する」ために設立されており、放送についての全国個人視聴率調査、全国接触者率調査、放送評価調査 放送意向調査、国民生活時間調査や、選挙の世論調査などが行われている。

 面接調査などでは緊急の事案への対応ができないかもしれないが、内閣の支持率調査や選挙の投票動向の調査は2~3日程度の電話調査が行われて、それが速報される。もちろん、電話調査の問題点(固定電話に限られることで年齢や社会階層による偏りが生じることや在宅率の問題、本人特定ができるかどうかなど)はあるものの、一定程度の科学的なデータは得られるはずである。視聴者の意向を本当に大切にしたいならば、NHK放送文化研究所が緊急調査を実施して、それを判断材料にしても良かったはずである。

○アウトレットはいくらでもあるが・・・

 1993年のムスタン事件の時点では、NHKが中継しなければ新聞に頼るほかなかったかもしれない。しかし、2004年のNHK不祥事での国会中継は、NHKが放送しなくても、朝日ニュースターやMXTV、国会TVなどで伝えられたほか、国会自体のストリーミング(衆議院TV、参議院インターネット審議中継)がある。

 また、今回、日本相撲協会はホームページ(http://www.sumo.or.jp/)上でカメラ一台を使ったストリーミング中継を実施している。一台のカメラでの撮影なので、少し見慣れない映像になっているが、それでも現場の雰囲気を知るには十分だと言える。総アクセス数は非公表(同時アクセス9000件)であるものの、7月12日には日本相撲協会のホームページに、通常の10倍近いアクセスがあったという(東京新聞2010年7月13日朝刊)。つまり、放送を中止したからといっても、アウトレット(出口)はいくらでも作れるのである。

 一方で、NHKは一定程度の相撲ファンのために、30分のダイジェスト版を放送しているが、なぜ生中継がダメで、ダイジェストならばよいのか。

 今回の相撲協会の不祥事の発端の一つは、やくざや暴力団関係者との関与である。

 2009年の名古屋場所や九州場所などで、土俵から数列目の「維持員席(一定以上の寄付をした個人・法人、後援団体に配布される席)」が暴力団関係者に譲渡されていた。これらの席に着いていた関係者らがNHKのテレビに映ることで、刑務所に服役中の組関係者らを勇気づけるのではないかという見方が捜査関係者の間にあるという(毎日新聞2010年1月26日付夕刊、5月26日付朝刊)。つまり、NHKテレビの生中継が暴力団関係者へのメッセンジャーになっていたのだという。

 もし、暴力団関係者が映っているのが問題だとすれば、なぜラジオはいけないのか、また、ダイジェストはそれを徹底的にチェックした上での放送となっているとでも言いたいのであろうか。あるいは逆に、日本相撲協会のストリーミングはこれを解決したとでも言いたいのだろうか。

 本来ならば、NHKが放送中止の判断をするのではなくて、日本相撲協会が名古屋場所を中止すべきだったのである。日本相撲協会は、名古屋場所の実施にあたり、「維持員席」の身分証明を求めたり、監視カメラを設置したりしたというが、そういうことによって迷惑をこうむるのは監視の対象となり、手間がかかる一般のファンである。暴力団等の反社会的勢力との関係を本当に断ちたいのならば、中継中止されたことに対してストリーミングで解決するというのではなく、ファンの信頼を勝ち取るように再出発を真剣に検討すべきなのである。

 一番の問題は日本相撲協会の対応であるが、言論機関としての表現の自由、報道の自由を簡単に放棄してしまったNHKも、相撲界の再生を妨げる罪作りな存在になってしまったのではなかろうか。


主任研究員(Y) 専門:メディア倫理法制

2 件のコメント:

  1. 確かに!NHKは、ソフトランディングを試みたようですが、甘い結果に終わって残念ですね。頭の良い人達が集まっているようなんだから、こういう中間的措置を取る場合は、左脳でロジカルに考え抜かなきゃいけないと思います。なんか、「しがらみ」系の決定が寂しい・・・

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  2. 「賭博」という文化が、現代の合理化と浄化の波におされて、行き場を失った。その結果、昔ながらの文化を唯一もった、相撲という文化に寄生した。そんな寂しい文化論で見てしまうのは私だけでしょうか?

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